「おはようございます。今日は定刻なんですねぇ。」
「おはよ・・。」
ぼんやりとした頭のまま、編集部室に入った。このごろ何故か、良く眠れない。いや、この頃・・ではないのだが、深い眠りにつけないままだ。デスクにつき、鞄の中から昨日持ち帰った仕事を出す。気分の言い投書ではないものを読み漁ったせいか、気分が持ち上がらない。
「千葉君、コーヒー・・ある?」
「今スイッチ入れたとこっすよー。編集長、定刻に来ることあんまりないからなぁ。」
ぼやきのような言葉を聞き流しつつ、軽く頭をかいた。
「大丈夫っすか?」
「・・何が?」
「顔色・・悪いですよ?」
「そう・・かな。」
パソコンを立ち上げつつ、昨日書いたメモ用紙を鞄の中から探り、千葉君に差し出した。
「編集長、これ・・・。何語ですか?」
メモ用紙をながめ訝しげに顔を歪ませる彼。たぶん、無意識に右手で文字を書いたのだろう。すべての文字が鏡に映したようなものになっているはずだ。
「ああ、反転コピーかけると読めるはずだよ。」
「編集長、私がやります。」
そう、和田さんが千葉君の手からメモ用紙を奪っていった。
「ああ・・。ごめんね。仕事増やして・・さ。」
ため息混じりに呟きながら、立ち上がったパソコンのディスプレイを見ると、昨日の仕事のやり残しが画面いっぱいにメモされていた。僕の一日はこうして始まる。午前中はその殆どの時間を残務整理に終われ、なんとなく午後あたりに今日の仕事に取り掛かれるくらい。そしてまた、仕事が残る。仕事が煮詰まり、煙草に手を伸ばして火をつけ・・。無言のまま、和田君に窓を開けられた。そう・・。禁煙。
「ごめん。和田君・・。」
「いえ。いいんです。編集長に逃げられたら仕事になりませんから。」
てきぱきと仕事をこなす彼女にとっては、タバコの煙くらい何ともない。といいたいのだろうか。しかし、少し棘のあるいい方をされ凹んだ。
「まーまー。コーヒーあがりましたよ。どうぞ。」
「ありがとう。」
カップを手渡されつつ、外に向かって煙草の煙を吐き出した。
「午後便郵便でーす。」
「はいはい・・。」
そんな配達員の声に、煙草を消して出迎える。両手で抱えるほどの大きさのダンボール箱一つ。それを仕分けしてそれぞれの編集部に届け、残る行き先不明のものや、ここ宛のものを開けていく。ただ目に付いたものが一つ。無地の小さな真四角の小包だ。僕の名前が書かれているだけで送り主の名前がない。
「ねぇ、誰か何か注文した?」
「いいえ。」
首を振るものや、傾げるもの。返品のものならばここに届くことは少ないが・・。
「編集長の名前があるじゃないっすか。」
「・・うん。でも、覚えがないんだよね。」
「なんでしょうね。あ、俺、取材行って来ます。佐々宮と。」
「ああ・・。行ってらっしゃい。・・どこに?」
「御碁先生のとこ。」
「ああ。そうか・・。」
部屋を出て行く二人を眺め、軽く手を振った。昼近くになるとこの部屋には僕以外誰も居なくなる。時々、僕も取材に向かうことがあるが、どうしても僕を指名した人のみなのでそんなに数はない。コーヒーを喉に流しつつ、一枚一枚手紙を開いては文字を目で追った。油紙や、業務用封筒のものは殆どが苦情。中には切ないような気分にさせるものもある。色が分からない人が絵の本質が分かるのか。雑誌の編集部長記には、僕が色網だということをよく書く。その反響なのだ。そういった人には、別の雑誌を作れ。とか、作る資格がない。などと強い意見が多い。ただ、感謝、お礼のものよりも強い意見として印象が深く、何も言わないよりはまだ参考になった。火をつけないままの煙草を口にくわえたまま、次の手紙を拾う。無地の真四角の封筒。差出人の名前はなく、僕の宛名だけがある。なんだか小包と同じ感じがしてじっと小包を眺めながら封筒を切った。便箋を引き出そうとしたがのりでくっついているのが取り出しにくく、左手を添えて強く引き抜いた。ピリッとした痛みが指先に走る。添えていた左手の掌にすーっと筋が入り、ぷつり・・と色の濃い液体があふれ出てきた。無理やり引き出した紙は便箋ではなく、ボール紙だ。突然の痛みに手を離し、机にぱたりと落ちる。それには何枚もの剃刀がついていて強く引き出したせいで肉が切れた。少し深く切ったのか、腕全体がゾクゾクとした感覚に覆われる。ポタポタポタ・・。血が音を立てて机上の散乱する手紙の上に落ちた。止血のため手首をぎゅっと握り締め、ボール紙を見つめていた。その紙は自動装置でもついているかのようにすーっと・・開く。太い油性ペンで書かれたような文字。・・数字・・と、・・・。
「12時5分・・。」
腕時計は電池が切れてしまったため、家においてきた。パソコンのディスプレイの時計表示はメモで見えない。部屋の時計は真後ろ・・。小包を見るや否や、カッとした光と包みが破裂していく様。スローモーションの映像を見ているようだった。僕の体はあっという間に吹き飛ばされ、壁に激突する。その後くらいに爆発音が聞こえた気がした。背中を打ちつけたせいか、息ができない。それどころか何か体の中から湧き上がるものがあり、吐き捨てると固まりのような血だった。床に転がり、咽ながら体を捩る。書類などが燃え煙が上がり、スプリンクラーが感知して滝のような雨を降らせた。駆けつける人の波の音と・・声。
「泰生??どこ?居るんでしょ?」
ナツキさんの・・声だ。必死に叫んでいる。呻き声すら出せないまま、小さく咽た。
「泰生?!」
「止めろ樹!危ないっ。」
「離してよっ。泰生!!」
聞こえるけど・・・。動けない。部屋に入るのは危険だ。破損した電気プラグやパソコンの電流は流れていて、スプリンクラーはいまだ作動中。水のせいで、何かが燃えているような臭いは・・。いや、僕の血の臭いしか分からないな。不意に、無理やり抱き起こされた。
「泰生、ねえ、泰生?目・・開けて。ねぇ・・。泰生ぁ・・。」
泣き声に近い・・ナツキさんの声。無理やり目を開け、軽く笑って見せた。
「馬鹿、何笑ってんのよっ。」
笑うことしかできなかったから。そんな事を言う余裕も薄れ・・。柔らかな胸の中に頭を抱きかかえられた。

 気がつくとベッドの上。人影が見えて左を向くと、身にスカートと華奢な太もも。その影の中が目に入った。
「・・・。」
視線をスーっとずらすと、怒った顔のナツキさんが腕組みをして睨み付けている。
「何・・怒ってるの?ナツキさん。」
その顔はすぐに崩れ・・。ぽろぽろと涙が頬を伝い・・。
「もう・・。起きないと思った・・・。」
小さな嗚咽と・・安堵のような声。右から手が伸びて、呼吸器のようなものが取り外される。若い看護師が、軽く頭を下げて部屋を出ていった。
「馬鹿・・。大馬鹿。何で言わないのよ。あんなにたくさんの・・脅迫状。何で君が・・。こんな・・。」
「ナツキさん。ごめんね。もう泣かないで。」
しゃべると胸が苦しく、締め付けられる。軽く咳き込むとそれは激痛に替わり思わずうめいてしまった。
「泰生?」
「だ、大丈夫。」
「・・笑わないでよ・・。痛いんでしょ?」
笑ったつもりはなかった。癖で微笑んでしまった・・らしい。
「ねえ・・。今、二人・・きり?」
「・・うん。」
僕は軽く彼女の目を見ると、彼女は床に立膝をついた。軽く目を伏せた彼女の顔がゆっくりと近づいてきて、僕の口を柔らかな唇と重ねる。一度軽く離れ、また・・触れる。
「怒られる・・かな。」
「・・誰に?」
「君を・・呼び捨てにした人に。僕がそんな事をしたら張り倒されそうだもの。」
今度はちゃんと、笑ったつもりだった。だけどナツキさんは困惑した表情のまま、また僕と唇を重ね合わせる。
「婚約・・。まだ、口約束のようなものよ。」
「でも。」
「いいの・・。」
僕の右手は、僕の意思どおりにゆっくりと動き、彼女の頬に触れ、徐々に下がって鎖骨、その下の大きく開いた胸元を目指した。彼女はその動きをじっと目で追っていたが、スーツの胸元のボタンを一つ外し、僕の手を中に引き入れた。柔らかい張りのある肌が心地よい。だが、激痛が体を走り抜けその手を引き抜いた。
「泰生、先生呼ぶ?」
僕は首を振りたかったが、痛みの方が勝っていた。痛みに打ち震える僕を見て彼女はすぐナースコールを押し、すぐに医者が来て僕の腕に針を刺した。また呼吸器をつけられて・・。意識が遠のいていく・・。
「泰生、また・・来るね。」
そう・・消え行く意識の中。ナツキさんは力なく笑った・・。