九月に入り、招待状が届いた。しばらく眺めていたが、破り捨てた。仕事をしているようだったが、身に覚えが無いことが多くなり、ぼんやりと取材に来ていた。響堂繕。屏風絵師だ。僕の手がけている雑誌ではないが、僕以外受け付けない。と僕が替わりに来た。門の周りには数人の記者たちが座り込んでいて、僕はその間を縫いチャイムを鳴らす。
「煩い!!」
そう一括され、ぼんやりしていた気持ちが目覚めたようだった。
「先生、僕です。高塚です。」
「ぬ?たかつか・・?・・高塚・・。あ、ああ。貴様か!」
「はい。お久しぶりです。」
「入れ。貴様だけだぞ。」
「ありがとうございます。」
重厚そうな門がゆっくり開き、その間からおかっぱ頭の小さな女の子が覗いた。
「高塚さん?」
小首を傾げる少女。
「はい。」
「どうぞ。お入りください。」
開け広げられることの無い門の隙間からそっとすり抜けた。だが、その後から門の前に居た取材人が割り込んで入ってくる。咄嗟に彼女を守りつつ、走り抜けていく一団を目で追った。
「ごめんね、大丈夫?」
「あ・・。はい。」
消え入るような声。小さく頷く少女。彼女に手を引かれ、案内されるとまた先生の怒鳴り声が聞こえた。
「誰がお前らの話を聞くと言った!!出て行け!!」
激しく一括する声に身を竦めると、少女が笑う。
「大おじい様、機嫌が悪いの。」
「そうみたい・・ですね。僕、お邪魔かなぁ・・。」
「ううん。入れって言ったの、おじさんだけだから。」
「そう・・なの?」
「うん。」
屈託なく笑う彼女に手を引かれつつ、問題の部屋に入ろうとして目の前の襖戸が飛んだ。廊下に転がる・・体格のいい男性。開いた場所から顔を出し、中を伺うと仁王立ちした老人が怒り狂った顔で怒鳴り散らしている。
「あの・・・・・。響・・先生?」
僕がそう声をかけると、彼は何事も無かったような顔で良く来た。そう僕を迎えてくれた。
「は・・はあ。」
部屋に転がる取材班一同様・・。踏まないようにして歩き、先生の前に立つと頭を下げた。
「真奈美。警察と救急車を呼びなさい。不法侵入者で、身を守るために戦った。そう言いなさい。」
「はい、大おじい様。」
僕の手を引いてきてくれた少女はそう言うと、軽く頭を下げて出ていった。僕がその彼女を眺めていると、先生は曾孫だ。とだけ言った。
「は・・はあ。」
「貴様が良い返事をしないから、孫はさっさと決めて生んだ子だ。」
「可愛いじゃないですか。」
「可愛くないとは言ってはおらん。貴様、なぜ来なかった。」
「・・行かれるわけ無いじゃないですか。僕は屏風には興味無かったし。まあ、お孫産だって選んだ人が居たわけですから。その話はいいとしましょうよ。」
ふんっ。先生は鼻を鳴らすと、身を翻して歩き始めた。僕はその後を付いていき、一番奥の部屋に通された。その部屋の中央に座らせられ、先生の動きを眺める。目の前の障子が開かれ・・・。僕はただ、息を呑んだ。4メートルほどの大きな屏風。松。梅。ウグイス。きらきらと光った塗りはたぶん、金だろうか。祝屏風。平面の絵が、どうしてこんなに立体的に見えるのだろうか。手を伸ばせば触れることが出来そうに見え、空中を手が泳ぐ。ここから屏風まで、三メートルはあるというのに・・・。
「ふっ・・。だからお前に見せたかった。好きなだけ見ているがいい。」
僕は先生が・・。その気配が消えることすら気がつかなかった。サイレンの音が鳴り響いたろうが、騒ぎ声がしようが。僕の耳には何も聞こえなかった。カメラを持ってきているのに、それに手を伸ばすことすら・・おこがましく思えた。
「高塚。飯でもどうだ。」
「・・え?」
「夕食が整った。貴様の分もある。」
「ゆう・・げ?え?もうそんな時間?」
「何だ。急ぎの用だったのか。」
「あ・・・。」
僕がここに来たのは10時を少し過ぎたあたり・・・で・・。時計の針はもう、7時を回っていた。
「あ、あの、先生。これ、写真撮っても宜しいですか?」
「フン・・。貴様が・・な。好きにしろ。」
「すみません。」
といっても、そう簡単に写真フレームに収まるものでもなく・・・。中途半端なものになりそうだ。そう思いながら、何枚かシャッターを切った。僕はカメラマンじゃない。機械の取り扱いも下手だ。レンズ越しに見る屏風。僕には死んだように見えた。カメラを下ろし、唇を噛み締めながら首を振る。
「お前には出来まい。」
「・・はあ・・。しかし、・・。」
「お前には中途半端かもしれん。だが、見るものには伝わるだろうよ。」
「それじゃ、来た意味がない。」
「・・・お前しか分からん。」
「僕は・・。そんなに凄い人間じゃ・・ない。」
「ならば諦めろ。」
「そんなに簡単に諦められるものならとっくに諦めている。」
「フ・・・。」
僕の後ろで、先生は笑った。鼻でせせら笑いながら、お前らしいと呟く。
「かわってなさそうだな。10年前と。一途で頑固だ。妙な俗世に依存していると聞いていたが、安心した。」
「・・すみません・・。」
「よい。わしは一人の男を見くびっていたな。」
僕は写真を撮るのを止め、振り向いた。そして彼に深く一礼する。
「大おじい様?ご飯、冷めちゃいますよ。」
「ああ。高塚。食っていけ。」
真奈美。。そう呼ばれていた少女の声に、先生は母屋のほうに歩いていった。僕は一先ず鞄から携帯電話を出し、会社に連絡を入れ、担当者に明日になる。そう告げた。閉め切り間近だったせいか早く戻って欲しいと懇願されたが、まだ取材が終わっていないと謝った。電話を切り、鞄に戻す。僕はもう一度振り向き、屏風を凝視した後、屏風にも深く頭を下げた。
「高塚さん?こっちよ。」
「あ・・ああ。」
小さな手に引かれ母屋に案内された。食事は一族が全て揃っているような顔ぶれ。二列に向かいになった繕。上座に先生がどしりと座り、僕はその隣に案内された。真奈美ちゃんが徳利を持ちどうぞと傾ける。僕はどうも・・と盃を手にした。
「左利きなの?真奈美もよ。」
「そう?先生もそうだね。」
「大おじい様が?」
盃にお酒を傾けながら、彼女は首を傾げた。お酒を注ぎ終わると彼女は左側の一番隅の膳につく。
「貴様しか知らんわ。」
先生は愚痴をこぼす様にぼやいた。そして手に持っていた盃を口に運び、ぐいっとあおる。それが合図だったらしい。二手に分かれた人が軽く箸を持ち、一つの狂いもなく頭を下げた。そして黙ったまま食べ始める。
「そんなことないでしょう?僕が気がつくんだから。」
先生は苦虫を噛み潰したような苦々しい顔をしながら、徳利を持ち上げた。僕に早く酒を飲め。そう指摘しているようで、僕は慌てて盃を煽る。真夏にぬる燗も・・いいなぁ・・。スーっと体に馴染んでいく感じがする。先生にお酌され、僕はただ頭を下げるばかりだった。
「小百合。付け。」
ただぶっきらぼうに言い放つ声。言われた小百合さんという人は溜息一つつかないまま、自分の箸を置いて僕の隣に来て失礼します。そういいながら座った。ショートヘアの小顔。大きな猫目の瞳。細い体躯。
「高塚。これはどうだ。今夜食ってみろ。」
「・・はあ?」
「まだ生娘だが、すぐに熟れる。」
小百合さんはただ、黙ったまま徳利を持って僕の盃が空くのを待った。
「先生、僕は。」
「真奈美がいいなら後6年待て。今年で十になる。」
「・・あの・・・。僕は、先生の一族に入る気はありませんよ。」
「絵なら描ける。」
「そりゃ、好きですけど・・。」
「色など大した物ではない。分からなければ混ぜて貰え。」
「・・先生。お言葉ですが、それは僕の望むものじゃない。僕は綺麗な色使いの絵が描きたいんじゃなくて、僕の思う僕の絵が描きたいだけなんです。それを他人が色づけしたものを塗っても深みの修正は出来ても完全に・・。僕の絵ではなくなる。完璧なる、完全な。・・僕の不完全な絵。あなたならそれに満足しますか?」
「ぬ・・・ぬははははははは。」
低い大声で高笑いする先生。
「先生、先生にとって、色とは?」
「女のようなものだ。」
「女性・・ですか?」
「ああ。艶があり、艶かしく。威勢だかいと思えば繊細。噛殺されることもある。食おうと思えば食われる。手に取るように分かったつもりでも、転がされ。馬鹿にするものよ。」
「・・・はあ・・。」
なんとなく・・分かったような分からないような。盃を煽ると、小百合さんが徳利を傾けてくれた。
「色恋・・ですか。」
ちらりと小百合さんを見ると、つかさず先生は食うか?と尋ね。僕は慌てて首を振った。
「とんでもない。」
「フ・・。お前が見せる迷いは、絵に映る。捨てなければお前は描けん。」
なんだか・・見透かされたようで・・。芸術家の先生方は人の胸の内を覗くのが上手い。
「小百合姉様。真奈美がやる。」
食事を済ませたのか、箸を置いた真奈美ちゃんは小百合さんから徳利を貰い僕の隣に座った。
「・・ええ。僕は・・まだ、未練があって・・。捨て切れない。欲しいんです、色が・・。」
「お前のものにはならん。」
「はい。分かっては・・いるんですが・・。どうにも決心がつかなくて。」
「わしが、諦めろといえば貴様は反発するだろう。続けろといっても断るはずだ。ただ、区切れ。」
先生が盃を煽り、僕は少し酒を舐めた。
「区切り・・ですか・・。」
「ああ。分けろ。隔てれば一番良いが、今のお前では無理だろう。惜しいな。」
「先生にそう言っていただけるだけで光栄ですよ。」
煽る酒は・・甘く・・。酔わせる。酒の付く唇を舐め、指で拭った。
「高塚さん。はい、お酒。」
「ああ、ありがとう。」
「このお酒はね、大おじい様秘蔵のものなのよ。大おばあ様の命日のときにしか飲まないの。」
僕は先生を見たが、彼はぷいっと横を向きふうっと息をついた。お前は特別。なんだかそう言われた感じがした。嬉しさのあまり、胸が熱くなり瞼に何か滲む。
「・・光栄・・です。」
やっと呟けた一言だった。酒の力もあり、泣き伏せてしまいそうだ。
「真奈美。余計なことはいわんでいい。こいつの床の用意でもして来い。」
「え?あ、あの、僕・・。」
「久しぶりに来たんだ。一泊していっても罰はあたらん。まあ、呑め。」
真奈美ちゃんはすっと立ち上がって僕に一礼すると走りながら部屋を出ていった。
「可憐。躾が足りぬ。」
言われてゆっくり頭を下げるのが可憐さん。10年前先生が僕の嫁にしようとした女性だ。髪を持ち上げ、団子状に綺麗に整えている。着物姿の清楚な女性。その隣にいる同じく着物の男性が旦那様だろうか。
「高塚。」
「はい?」
「わしは諦めんぞ。」
「諦めてください。僕は僕の道を迷いながら進みますから。」
ぬははははははは。また、先生は豪快に笑った。