甘い酒に・・甘えて酔い過ぎた。朝食を頂かずに帰ろうと思ったのだが、真奈美ちゃんに起こされるまで起きなかった。ボーーっとする頭。痛みはないが、しっかりと二日酔いだ。
「はい。お薬とお水。お母様が用意してくれたの。」
「あ・・ああ。ありがとう。」
「ああ見えて、お酒が弱いの。って。お母様言ってたわ。そうなの?」
「たぶん・・そう。」
「私って、高塚さんの娘?」
薬を口に入れ、水を飲もうとした矢先の発言で、思いきり吹き上げた。
「ど、どうしてそうなるの?」
腕で口の水を拭いつつ、慌てて聞いた。酔いもいっぺんに冷めたよ・・。
「ばっちい・・。」
「真奈美ちゃんが変なこと聞くから・・。おじさん驚いちゃったよ・・。」
「だって、お母様。高塚さんの写真をずっと持ってるんだもの。だあれって聞いたとき、大事な人って。」
僕はただ、首を傾げて振って見せた。
「じゃあ、高塚さん。六年後真奈美をお嫁さんにしてね。」
「その頃には僕はおじいさんだよ。」
「いいのっ。」
彼女は僕の頬にチュッとキスをして、テレながら部屋を出ていった。
「参ったなぁ・・。」
立ち上がり、浴衣を直してタバコ片手に中庭が見える廊下に出る。純和風な庭造り。昔と変わらない。ただ、木々が大きくなったくらい・・か。煙草に火をつけ、咥えタバコのまま庭を眺めていた。
「変わりませんね。10年前と。」
声がした方を見やると、可憐さんが斜めに頭を下げる。
「貴方がこの家を出て行く朝も。そうしてタバコをおくわえになって・・。」
「良く覚えていますね。そんな昔のこと。」
「お忘れですか?」
「いや、・・覚えていますけど・・。」
彼女は口元に手をやり、楚々と笑った。
「本当に、久しぶりに訪ねてきたのに。先生は僕を息子のように可愛がってくれる。昨日のあの言葉もガツンと来ましたよ。何もかも見透かされてて、怖いくらいだ。」
「ええ。おじい様は貴方が去って、どれだけ悔しがったか。」
「作風が少し変わった・・。」
「ええ。心が乱れたのでしょうね。たった二週間。貴方はここに居ただけなのに。」
「長い二週間でしたよ。深いことを教わりました。」
煙草の灰がぽとりと浴衣の中に落ちた。
「あ・・。」
「あら、危ない。」
慌てて取り除こうと、僕の浴衣を乱す彼女。
「大丈夫ですよ。火は落ちてないから。」
「だって・・。」
不意にみつめあってしまい、彼女はすぐに目を逸らして僕の浴衣から手をどけた。僕は簡単に浴衣を直す。
「真奈美ちゃんが僕に微妙なこと言っていきましたよ。」
「あら、何て?」
「彼女は僕の娘じゃないかって。」
彼女は自分の口に手を当て、驚きそして笑った。
「僕、着替えてもう行きますね。先生は?」
「アトリエに篭りましたわ。気が済むまで反応はありません。」
「先生も、頑固だから・・。」
僕は髪を軽くかきあげつつ、欠伸をして背伸びにかえた。部屋に戻り、着替えてから布団と浴衣をたたむ。可憐さんと小百合さんに見送られつつ、タクシーに乗った。
「高塚!!でかしたっ。」
会社に戻り「和」の編集部にカメラを渡すと大いに喜ばれたが、肝心な先生からのコメントを聞くのを忘れた。アトリエに篭ってしまったといっていたので、もう聞く機会もないだろう・・。
「ごめん。」
素直に謝ったが、それほど落胆されなかった。響先生の屏風は、雑誌に載せるという事だって始めてで、展覧会にだってなかなか出てこない一品。それを、まだ未発表策を写真に捕らえてきた。それだけで十分そうだった。部屋に戻ろうと廊下に出るや否や。人事部長に腕を掴まれ引きずられるようにして階段の踊り場に立つ。この人事部長。人に無理難題を持ってくる天才である。
「頼む、高塚。見てくれ。」
「嫌です。」
部屋に戻ろうとするが、やはり腕を掴まれた。そして一枚の書類を握らされる。
「10月の人事異動までに考えておいてくれ。」
「・・嫌ですってば。部長がお考え下さい。」
「見てからモノをいえ。見てからっ。」
無理やり書類を広げられ・・。部署移動願い。と書かれた書類。人事部なのだからそういった類のものが本職だろう。名前。越賀倫彦。26歳。現部署。営業課。希望部署。編集部。フォト&カード。希望目的。高塚泰生の元で働き、見聞を広げる。備考、なし。
「越賀・・倫彦・・・。あの、やり手の?」
人事部長はうんうんと頷く。
「営業の方が向いてると思いますけど・・。」
「私もそう思う。だが、見聞を広げたいとならば・・。」
「何で僕の元で?」
「君が凄いからじゃないのか?何か不都合でもあるのかい?」
「・・え?」
「君のところは男が一人しか居ない。荷物持ちには便利だろう?」
「荷物って・・僕には無いんで・・。」
「カメラ機材とかさぁ。」
「重要なときのみ、広報部の・・。」
「まあまあ。良い方向で頼むよ。」
彼は・・・。僕に書類を押し付けたまま階段を降りていった。部長本人の気持ちが固まっているようなことを、僕にどう何をしろというんだろう・・。それも・・。あの、越賀倫彦・・・。面識は殆ど無いが、名前は嫌というほど聞かされた。今はナツキさんのフィアンセで・・。後二週間もしないうちに夫となる人物。頭を抱えたまま部屋に戻り椅子に座ると、机に重要書類とかかれた封筒があった。しぶしぶ開く。記。人事異動について。不在だった副編集長に、経理部保谷野敦司任命。時。・・・・。良く考えたら、今日だ。
「はい、注目。今日から経理部の保谷野敦司さんがお見えになるそうです。肩書きは副編。どんな人かは分からないので、よろしくっ。」
「えーっ。編集長丸投げー?」
「僕だって、編集長様さましてないから分からないよ。」
「ご機嫌斜め・・。ですね。編集長。」
「分かる?」
「ええ。手に取るように。」
「ねえ、和田さん。僕ってそんなに単純明快?}
パソコンの画面にくぎ付けになっていた彼女は僕を見やると、また画面を見直した。
「分かるときは素直に。分からないときは、近づきません。」
「君が?」
「いいえ。編集長が。考え事をなさっているとき、人を避けますね。」
「じゃあ、聞くときは?」
「楽観・・。しているときでしょうか。」
「はい、編集長コーヒー。難しい話してないで、副編の登場っすよ。」
千葉君に手渡されたコーヒーを口に運びながら・・・。保谷野君の姿をちら見した。きっちり揃えた角刈りの髪形。四角い眼鏡。糊の利いたワイシャツ。いっし乱れの無い・・ネクタイ。和田さんをそーっと見やるが、彼女はあえて僕を無視してくれた。彼は僕のデスクの前に立つと、きっちりと頭を下げる。
「今日付けで移動になりました。保谷野敦司です。」
「あ・・。よろしく。高塚です。って、副編の机ある?」
「編集長が、隔離です。」
「・・はあ?」
「辞令。良くお読みください。」
和田さんに言われ、何がなんだかわからないうちにさっきの封筒を開けた。一枚、彼の紙にくっ付いた紙があり、軽く引き剥がす。
「何々。高塚泰生。編集部室部長を命ずる。何だこれ・・。」
「その名の通りです。編集長は、出世なさいました。」
「いつ?」
「入院なさってた・・あたりですね。」
「知らないよそんなこと。」
「めでたく、部屋が出来たんですよ。ここと正反対の南側です。室部長。つまり、この階にある編集部全てを取り仕切る長ですね。」
「ちょ・・ちょっと?」
「私が推薦しました。」
「ちょっと待ってよ、僕は何もやってないじゃん。」
「出世に意義でも?給料明細にはちゃんと記載されていますよ。ごらん下さい。」
僕の知らない間に、僕は・・。出世していたらしい。千葉君に貰ったコーヒーを持ちながら、和田さんに案内され室部長とかかれた重厚そうな扉の前に立った。まだ真新しい。
「爆発騒ぎの後、改築されました。御存知ありませんでしたか?」
「・・知らないよ。」
「そうでしょうね。お忙しくいらしたから。」
彼女はポケットの中からカギを出し、僕に握らせた。
「あなたの部屋です。私物は今、運びますから御安心下さい。」
彼女はそう言うと、くるりと身を翻して元来た道を歩いていってしまった。長い廊下が・・。もっと長く感じる。僕はしぶしぶ扉のカギを開け、ドアを開けた。中には一つ大きな机があり、重役でも座りそうな分厚い椅子が置いてある。扉を開けたまま部屋に入ると、机が二段になっていて一段下がったような場所に電話が置かれていた。広い机に置かれた札。しっかりと僕の名前が書いてある。ただ一つ嬉しかったのが、灰皿があったことだ。これも一つ和田さんの心遣い・・なのかな。
「編集長っ・・って、いや、室部長。私物少ないっすねー。」
千葉君が持ってきたのは、二本のボールペン。簡素なメモ帳。ライター。使わないままとって置いた食券。カップは今僕の手の中。それらを机に置きつつ、彼は部屋を見渡した。僕もつられて部屋を見る。
「あ。応接セットだ。」
「ああ、ほんとうだ。」
「この植物、本物ですよ。」
「・・そうなの・・?」
彼は一通り部屋を見渡し、じゃ。とドアを閉めようとする。
「あ、開けたままでいいよ。どうせ閉めないだろうし。」
「あははは。そりゃそうですよね。」
彼はなんだか納得して出ていった。重厚な椅子に腰掛け、とりあえず・・。コーヒーを飲んだ。
「居心地悪い・・・。」
カップを机に置くと、取り敢えず何をしたらいいのか・・考えても分からない。手紙を読もうにも、仕事は預けてきちゃったし・・。和田さんが編集長だろうか。人事に一切興味が無かったので、良く読まずに来たよ。僕は腰をあげ、廊下を歩いて元部署に顔を出す。何だかてんやわんやそうで楽しそうだ。
「和田さーん。僕は何をしたらいいの?」
「室部長。」
和田さんが来る前に、僕は各編集長に囲まれた。
「決定判を下さいな。」
「そんなの勝手に押してよ。もともと、こんな役職は無いんだから。」
「膨れなさんな。この美術業界。高塚が重要人物なんだからさ。」
「何だよそれ・・。」
「はい。この特集組みたいから宜しく。」
次々と渡された書類。今までと変わらないじゃないか。ぶつぶつとぼやきながら、僕の部屋に歩いて椅子に座った。電話の受話器を持ち、特集記事の先生を思い出しつつボタンを押す。煙草を自由に吸えるだけが・・。いいことだろうか。