「何で君、ここでご飯食べてるわけ?それも、またカレーライス?」
頭の上から叫ばれた。室部長となった僕は・・別に普段と変わらない。ただ、送られてくる手紙を読むことだけがなんとなくの唯一の救いになっていた。仕事は会議が増えた。苦手だ・・。
「ナツキさん・・。準備はいいの?」
「あ・・う、うん。任せっきり。それより君、こっちを食べなさいよ。」
僕の食べかけのカレーライスを奪い、彼女は僕に親子丼をくれた。
「栄養偏ってるんじゃない?ちゃんと寝てる?」
「うん。まあ・・ね。」
「お風呂入ってる?」
「・・ときどき。臭う?」
「煙草臭いわ。増えたんじゃない?」
「うん。少し・・。」
親子丼に代えられた食事を口に運びつつ、手紙を読みながらペンを走らせる。右手で使う箸ではご飯がこぼれ・・。
「ナツキさん、スプーンと代えて。」
「え?あ、はい。あーーっ。また箸噛んでるっ。食べづらいから止めてって言ってるじゃない。」
「・・・ごめん。貰ってこようか?」
「いいわよ。勿体無いし。食べられないこと無いもの。それより、左手で食事なさい。」
彼女が右に座っている。必ずぶつかるのは分かっているが・・。
「仲、いいんだね。」
不意に男の声がして顔を上げた。いつのまにか目の前に座っている。
「ええ・・っと・・。」
「フォト&カード編集部、仮移動の越賀です。高塚室部長。」
「・・あ・・。はい。よろしく・・。」
しっかりと彼を見たのは始めてだった。優しそうな、でもしっかりしてそうな男だ。
「泰生、冷めるわよ。」
「あ、・・うん。」
代えてもらったスプーンを眺めていると、ナツキさんは手をとめてそのスプーンを奪うと、ご飯を救って僕の口に突っ込んだ。
「はい。美味しいわね。食べなさい。」
「・・はい・・。」
大人しく黙ったまま食事をした。目の前の彼が気になる。今更、どうして気になるのか。あと三日・・。人前式だというから、婚姻届はその時に書くという・・。
「室部長、背、高いんですね。」
「ん・・・。ま、まあ。勝手に伸びたんだよ。」
「幾つあるんです?」
「一つ。」
ナツキさんに思いきり背中を叩かれた。
「痛いよナツキさん。」
「今時言わない馬鹿なこと言うからよ。オヤジ。」
キッと睨まれつつ、僕は取り敢えず水を飲んだ。
「190センチに届くくらいかなぁ。越賀君は?」
「俺は168センチしかないです。あの、樹・・。いや、夏目課長のこと、どうしてナツキ。何ですか?」
「え?あ・・・えっと・・。夏目樹。を間違えたから・・だったかな。僕が企画に配属されたとき、ナツキさんは直属の上司で・・。主任だったっけ。」
「そうね。」
彼女にさらりと流され、何だか気まずくなった。
「室部長、雑誌なんですが、プレゼント企画が少なすぎませんか?」
「は、はい?」
「もっと読者が満足してくれると思うんですが、如何ですか。」
「あ、ああ。それは無いと思うよ。時々のプレゼントは、美術館の館長さん達のお心遣いであるんだけど、僕は極力無くしたいと思ってるんだ。」
「何故ですか?」
「ん。一時の来館者数を伸ばしたからといって、美術に興味が沸くかといえば違うと思う。そりゃ、一人や二人は増えるだろうね。僕が思うのは、芸術家達の心を知って欲しい。ということ。ただ見て、綺麗。と思うことも大事かもしれないけどね。でも、どうしてそれを描いたのか。造ったのか。撮ったのか。それぞれの意思までも汲んで欲しいんだ。本を手にするのはただの興味でも、もっと知りたい。そう思ってくれればいい。その先に、特定の場所に行く。って言うような行動をしてもらいたい。綺麗だから欲しい。は、・・嫌なんだ。」
彼は黙って聞いてくれた。ゆっくりと考え、一つ頷く。
「俺、本が売れればいいと思ってました。作る側の意見なんて考えていなかった。」
「それはそれでいいと思うけど・・。だって、営業でしょ?売ることが専門だから。はっきり言えば、僕なんかは売れる本を目指していない。それを君達が売ってくれて、採算が合う。まあ、美術館系で部数を伸ばすのは難しい話だけどね。」
「私達の努力もあるんだから。」
「そりゃ、企画様が居なけりゃ本は出来ません。」
「本当にそう思ってるの〜?泰生ぁ。」
ナツキさんに両頬を引っ張られた。
「ちょっと痩せた?」
「ひゅこひ・・。」
「何?」
「ひゅこひ。」
ぷっと笑いが溢れ、次第に彼女は腹を抱えて笑い始めた。とても楽しそうで、でも何だか影があるものを吹き飛ばそうとしているような笑いだ。でも表面的には本当に愉快だから笑っているように見える。涙を拭いながら笑いを収めようと必死になりつつ、また溢れ出してきたのか笑う。
「ナツキさん、疲れてる?」
越賀君を見やると、彼は少し頷いた。
「はーー。笑ったわ!!」
「お疲れ様。」
「何よ、泰生、ぜんぜん食べてないじゃない。」
「え?あ、はい。はい。食べますよ。ここにいつまでも居ると怒られるから。」
「誰に?」
「編集長様達。僕はいつも便利屋さん。」
左手でスプーンを持つと、かきこむ様にして親子丼を食べた。一気に食べて租借も程ほどに水を飲んで長し込む。右手の親指の付け根で口を拭うと、ナツキさんにその手を取られた。
「子供みたいな癖があるんだから・・。」
彼女はスーツのポケットからハンカチを出し、僕の手を丁寧に拭った。
「ねえ、病院行ってるの?」
「いや?全然。」
「痛くない?」
「もう違和感無いよ。何で?」
彼女は僕の手をじっとみつめ、良かった・・。そう呟いた。
「ねえ、あれから犯人の行動は?」
「さぁ。気が向いたように仕掛けて来る奴だからね。半年くらいは無いんじゃないかな。」
「・・泰生、犯人知ってるの?」
思いきり怪訝な表情で睨みつけられ、僕は言葉を飲み込んだ。知ってる、そう言えば誰だと質問攻めにあうだろうし。知らないといえば、何で奴。何て言うんだ。ということになるに決まってる。
「言いなさいよ。」
「さ、さあ・・。」
「泰生?」
「えっとー・・。」
「泰生!!君ねー、他にも犠牲者が出たらどうするつもりなのよっ。知りませんでした、じゃいい訳にならないわ。白状しなさいっ。」
「次も僕だったら心配してくれる?」
すっと立ち上がった彼女は、無表情のまま手を振り上げて・・。パーン・・・。そう僕の頬を平手で殴った。そしてそのまま歩いていってしまう。殴られ損だ。ひりひりする・・。
「どうして、そんなに彼女をからかうんですか?」
「そう見えた?」
「はい。」
「何だかね。僕とは馬が合わないんじゃないか?」
机に転がるハンカチをポケットに捻り込ませ、彼女の器と僕の器二つを持って返却口に歩いた。部屋に入り、椅子に深ぶかと腰を下ろして背もたれに身を預ける。ほんの二時間サボっていただけなのに、書類は山のようだ。電話のコール音に態勢をなおし、受話器を耳に当てる。
「はい、高塚。」
「泰生・・。ごめんね。私・・。」
しょ気ているようなナツキさんの声。小さな声。
「ハンカチ。忘れたよ?僕が持ってるんだけど・・。今夜、久しぶりに呑みに行かないか?スピカに。」
「・・・・うん。いいわね。」
「じゃあ、迎えに来て。誰かに来て貰わないと、仕事止められないから。」
カチャ・・。彼女は無言のまま、受話器を静かに置いた。
「おおお?室部長、デートのお誘い??」
「千葉君。」
僕は受話器を置きたくない気分でいた。そっと電話の隣に置く。
「俺もスピカ行こうっかなー?室部長のいい人って?」
「さっき殴られたよ。」
「へ?」
「ところで、何用?」
「和田編集長と副編がアップアップしてましてぇ〜。助けていただけたら幸いかと。」
「ハイハイ。行きましょ。」
部屋を出るに仕方なく受話器を戻すと、すぐに電話がかかってきた。僕は千葉君に先に行けと合図をし、受話器を取る。
「はい。高塚。」
「彼女は、俺の女です。近づかないで下さい。」
口頭一発。越賀君の宣戦布告・・。
「知ってるよ。」
「じゃあ、何で・・。」
「彼女の方が後から来ただろ?疑心暗鬼の嫉妬かな?」
「・・・・。」
彼が何も言わないので、僕はそのまま受話器を置いた。今更、何を言い出すのか。勝負はついている。結果も出ている・・はずなのに。僕はしばらく電話を眺めていたが、千葉君の言葉を思い出して部屋を出た。一番北口にある部屋に行こうとしたが、三人に捕まり辿り着くまで約一時間。
「わ・・。」
「どうしてそうなる、馬鹿男!」
「馬鹿とは何だキリギリスっ。」
なんとも間の悪いところに顔を出した。和田さんと保谷野君が言い争っている。
「ちょっとちょっと。どうしたの?キリギリスって・・。」
あの、ギーッチョンって鳴くバッタみたいな奴だよ・・ねぇ・・。
「室部長!!」
「はあい。まあ落ち着いて。いつも君は冷静なところがいいところでしょ?保谷野君も、補佐なんだから彼女を支えて。」
「どうにも意見があわないんっすよ!!」
「妥協すれば?」
「妥協?」
「ああ、言い方が悪かったよ。譲歩。・・・。違うな。」
「室部長は良くこんな女とやって行けましたね!?」
「こんな女ですって??」
二人ともがお互いを指差したかと思えば、たぶん、ゴングが鳴ったのだろう。組み合ったかと思えば、揺すりあい。掴んでは振り払い、振り払われ・・。ギャーギャーと叫び声が響き、書類が飛ぶ。仲に割って入ろうとしたら、重たい書類のファイルで頭を殴られた。頭より、首が・・もげるよ。
「室部長っ。」
くらくらと弾き飛ばされ、佐々宮君に支えられた。千葉君が保谷野君を取り押さえ、和田さんは数人の女性に触れられると動きが止まった。
「仲が良いのは宜しいことで。かち合うというのは、良いものが作れる。しかし、こんな騒ぎは今回限りって事で納めてもらえないか?毎度殴られるのは身が持たないのでね。」
幾つか書類を拾い集め、適当な机に置く。物置き場のようになっている応接セットのソファに腰を下ろし、溜息をついた。
「千葉君、コーヒー・・あるかな。」
「あ、はい。ただいま。」
彼が保谷野君を離しても、保谷野君は動かなかった。僕の前にすぐコーヒーが置かれる。
「ありがとう。で・・。静かになったところで、何が問題だって?」
話を聞くに至って。双方の意見は合致している。同じ意見だ。それが何故違うと言い切るか・・。
「君達、僕を馬鹿にしているでしょう?同じ意見だよ。後は言い方と接し方。お互い譲歩しあってね。」
貰ったコーヒーを半分も飲まないうちに、他編集部に腕を掴みあげられ、拉致された。咄嗟にカップは持ってきたものの・・。延々三時間。企画、広報、商品開発。営業。たらい回しにされ、部屋に戻ると、ドアが閉まっていた。不思議に思いながらもそっと開けると、目の前の椅子にナツキさんが座っていた。長い足を机に乗せ、軽く組合せている。僕はドアを閉め・・。後ろ手でカギをかけた。