「えー。今日から十二月です。師走。師匠も走り出す。というほど、忙しいわけですがー。企画、先生方人気ランキング。及び、好きな作品。の集計結果はありますでしょうかー。」
「すみません。まだ出来ていません。」
「特集号に間に合いませんよー。期限まであと14日。」
編集部、企画課合同会議の意見役として僕はぼんやりと外の景色を眺めつつ、最後部席で煙草を燻らせていた。もう、12月か・・。もう直、雪が降るなぁ・・。空に浮かぶ雲を眺めて、雪の色って何色だろう。など思いに耽っていた所に、頭にファイルの塊が落ちてきて目の前に書類が散らばった。
「痛い・・。」
「あのねー。君。何のためにいるのかなぁ?」
やけにニコニコしたナツキさんが僕に問い掛ける。
「オピニヨンリーダー・・。」
「だよね?分かってるんなら、話を聞いてなさいよ。一つくらい書類に目を通したの?」
「全部読んだよ。別に気になる項目は無かったし、各自動いて支障が無いようだし。」
「一つあったの。それを今、君に聞いてるの。聞いてた?」
「いや。全然。」
彼女はもう一度ファイルを掴むと、僕の頭に振り下ろす・・真似をした。そのままファイルを机に置くと、くるりと身を翻して自分の席に戻っていく。かすかに漂う残り香。肩まで伸びた髪がふんわりと揺れる様。すらりと伸びる背中。きゅっと締まるお尻。短いスカート。・・・パンプス。この頃、ヒールの高い靴、履かないような気がするな・・。
「高塚室部長。・・室部長。」
「あ、ああ。はい。」
「夏目課長のお尻に見とれてないで、話を聞いてくださいね。」
どっと場が和み、彼女は手で髪を払う簡単なセクシーポーズを決めた。僕に投げキッスをしてくれる。
「悪かったよ。で、質問は何?」
「はい。水墨画に、色彩を加えたえはあります。ですが、今の色墨汁で描かれた水墨画。というものは数ありませんよね。そこで、それに挑戦してくれる水墨画家を推薦していただければ、と思うのですが。如何ですか?」
「色の事はよく分からないんだけど、水墨画って色、無いの?」
「ええ、紙の白を貴重に、墨を吸って作る墨液の濃淡だけで描きます。殆どが白と黒の世界で・・。」
「・・白と・・黒?」
「はい。掛け軸と違って、墨、のみで描かれるので・・。」
「色・・・。無いんだ。それって、1色って事だよね。」
「はい。そうです。それで・・。」
僕は黙ったまま、呆然とした。一色の絵が、あったんだ・・。何で気がつかなかったんだろう・・。
「菊地胡桃。彼女なら若いし、柔軟。独創性にも優れてて、腕もいい。僕の名前を出せば嫌だって言わない。ごめん、あとは各自工夫して。僕暫く・・。あ、いや、一週間休む。どうでもの時には電話して。」
「え?ちょっと泰生??何、この忙しいときに何言ってるのよ。」
「ごめん、ナツキさん。僕の代わり・・。代理に安部君。宜しく。」
指名された彼はポカーンと口をあけた。
「え?室部長何言ってるんですか?俺じゃ役に立てないですよ!!」
「矢吹君も宜しく。二人いれば出来るよ。」
僕はすぐに立ちあがり、真後ろにあった電話の受話器を上げた。秘書室に内線をかける。
「はい。秘書室桜坂です。」
「お。僕、高塚だけど、今から一週間休む。遅くても再来週の月曜日には戻るよ。駄目なら連絡入れるから。」
「はい。承りました。思いつきの取材ですか?」
「うーん。ちょっと違うかな。会いに行きたい人がいるんだ。恩師にね。じゃあ、急ぐから、また。」
「はい。」
ちょうどよく彼女が出てくれたので話はスムーズに終わった。が、この前僕は会議室から逃げた経験もあり、ドアが人壁で厳重に守られてしまっている。たしか、ここの下は陶磁器部。宮内さんが煙草を吸うために窓を開けるはず・・。受話器を置き、窓を開け下を見るとちょうど、窓が開いた。日ごろの行いって奴ですか?
「宮内くーん。ちょっと離れてくれる?」
僕は上から声をかけ、窓辺に寄りかかろうとした彼は驚いて僕を見上げた。そして、首を傾げつつ窓際から退く。僕は窓の縁に手をかけ、そのまま壁を飛び越えた。背が高いって言うのはとても便利だ。腕をロープ状に使い、下の窓に飛びこむ。宮内君は何がおきたのかわからないような驚いたような顔をして綺麗に着地した僕を眺めていたが、ポカーンと・・口が開いた。僕はすばやく振り向いて窓を閉めると、何事も無かったように廊下に出て僕の部屋に入り、鍵を閉めてから鞄を持った。この部屋の下は・・えっと・・ああ、給湯室だ。誰かいるかな・・。そんな思いで受話器をあげ、内線番号を押した。出たのは経理の田端君。
「悪いけどさ、窓開けてくれる?」
「窓?」
「そう。窓。開けてね。」
受話器を置き、窓を開けて下を見ると田端君はちゃんと窓を開けておいてくれた。車内がどたばたと騒がしくなってきている。僕は鞄の取っ手を口に挟んで、また窓の縁に手を当てて今度はゆっくりと足を伸ばして下の窓に足があたるはず・・と目測した。
「室部長!!開けてください。いるんでしょー??」
ドアを叩きながら喚く人々。いますよ。窓の縁に手を当てて壁を目の前にぶら下がってます。鞄を噛んでいるので喋れません。ドアが無理やり開けられたような音とともに、僕は窓の縁にかかっている手を離した。足の裏はちゃんと下の窓縁に当たり、軽く身を屈めて後ろに飛ぶ。ビルの二階の天井の高さは地上何メートル?そのままくるくると十字回転をしながら落下し、身を丸めて一回転。体、膝、足首など、全てのバネを意識しながら着地した。膝を折り、着地した際に胸に膝が食い込むのを鞄で吸収させたことが、偶然にしてはよく出来た話だ。僕はゆっくりと立ちあがり、四階の僕の部屋から身を乗り出して眺めている人達に軽く手を振った。唖然としている顔がいっぱいある。大学の友達に鉄棒をやってる人がいて、教わっておいて良かった。僕はそのまますたこらさっさと走りちょうど信号待ちをしていた空車のタクシーの窓を叩いた。
「駅まで乗せて。」
そう言うと、ドアが開き僕は体を滑り込ませる。ドアが締まると、信号が変わって車は走り出した。

 東北行きの新幹線に乗り、喫煙可能の自由席に座る。煙草を胸ポケットから取り出して口にくわえ、火をつけ紫煙をくゆらせると、やっと何だか一息ついたような気がした。なんとなく鞄を開けると、今朝コンビニで買ったワンカートンのタバコがクシャッと潰れていて、何か機械の破片が転がっていた。携帯・・壊れちゃった。電話して。何て言ったけど、コレじゃ連絡が取れないな。静かに鞄を閉め、ぼんやりと車窓から流れる景色を眺めた。煙草を吸い終え、座席に深く身を沈める。僕はそのまま軽く目を閉じていたつもりだったが、いつのまにか眠ってしまっていたようだった。目を開けると、外の景色はまさに冬。永遠とも思われるほど降り続く雪と、降り積もった雪が全てを覆い尽くしていた。今年は雪の訪れが早いようだ。必死に雪かきをする駅員達。行き交う人達も厚手のコートを着こみ、体を丸くしていた。外は寒いんだろうな・・。スーツ一着の姿で飛び出してきたことに少し後悔しつつ、また新幹線は走り出す。目的駅につき、外に出ると息が見えた。もう辺りはすっかり暗く、雪の明かりがぼんやりと浮かび上がる。雪はまだ振り続いていてすぐに頭にも肩にも積もりそうな勢いだ。駅を出て、タクシーに乗り込む。目的地名を告げると車はゆっくりと走り出した。ワイパーが忙しく動く。
「凄い雪ですね。」
「ええ。参りますよ。この雪は今朝から降り始めたんですが、もうこんなに積もってますからね。今年は早いんですよ。お客さん、そんな軽装でどこから来られました?」
「東京です。今後悔したところですよ。あんまり外にも出ないので、上着の一つも持ってこなかったんで。」
「お客さんが行かれるところは、雪はこんなにありませんが寒いですよー。」
「ええ。忘れてました。ずいぶん前になるんですが、夏に来たことがあるんです。暑いといっても東京の暑さとは比べ物にならない。風邪をひいて、怒られました。こんなんで冬は迎えられないって。」
「ははは。もっともだ。」
軽い会話をしながら街の明かりを見ていた。それがどんどんと遠くなる。人里離れたような場所に向かいながら、次第に会話は無くなっていった。運転手が言うとおり、この辺りは雪は降っているが街中よりは積もっていない。山を上る途中、小さな集落を見かけそれを通りすぎ、もう人は住んでいないだろう。というような場所に小さな明かりが見えた。明かりの前に車が止まる。僕は障害者手帳と、クレジットカードを運転手に渡した。清算が済むとドアが開き外に出る。車は何度か切り返し、元来た道を戻っていった。それを見送り、僕は明かりを見上げる。裸電球が小さく輝き、古い家を照らしていた。完全な手作りのような木の家。屋根は簡単なトタン張り。窓ガラスはあるが、所々ヒビが入っている。もう真夜中で、連絡も無くいきなり来た僕を彼は・・迎えてくれるだろうか。引き戸を何度かノックし、スライドさせると開いた。
「すみません。渡瀬川先生。いらっしゃいますか?」
ドアに顔を滑り込ませて問う。すると、着物を着た青年が現れた。近くまで来て、玄関の天井からぶら下がる裸電球のスイッチを回す。若く、綺麗な顔立ちの・・細身の・・。
「誰?」
「あ、僕は高塚といいます。あの、渡瀬川先生は・・。」
「いるけど、・・じいちゃーん。客だぜ。」
彼は振り向いて叫んだ。先生の・・お孫さん・・?部屋の中から、よっこらしょっと言う声が聞こえ、一升瓶を片手に着物を着崩した髪の無い老人が現れた。
「おお。何だ。お前さんか。寒いらか早く入れ。」
彼は僕の顔を見るなりそう言うと、そのまま部屋に戻っていってしまう。僕は青年に軽く会釈をし、後ろ手で玄関の戸を閉めて上がらせてもらった。天井は驚くほど低く、体を屈めていなければならない。彼のいる部屋に案内されると、ほれよ。と彼に座布団を持たされた。それを敷き正座で座ると、やっと体が真っ直ぐに伸びる。青年は僕の後をついてきて、勝手口に入っていった。
「何だ、突然。何しに来た。」
「すみません。連絡も、手土産も無く。やぶからぼうですがお聞きしたいことがあって。」
「ん?そんなのは明日だ、明日。めんどくせえ。おい。こいつにも酒をくれてやれ。」
「今用意してるよ。じいちゃんはのみ過ぎだからな。」
「けっ。好きにさせろ。」
彼は持っていた一升瓶を目の前のガラスコップに移すと、軽く鼻をすすった。小さく暗い部屋の中央にだるまストーブが一つ置いてあり、なんとなく暖かい。青年が近づき、着物の端を折りながら座ると床にお盆を置いた。お盆に載るガラスコップを掴むと僕に差し出す。それを受け取ると、先生の手から無理やり一升瓶を引っ手繰って酒を僕の持つコップに注いでくれた。
「何にも無いけど、これつまみにして。」
お盆の上の皿には一匹の川魚と、雑キノコの煮物があった。
「すみません。突然来たのに。」
「ううん。じいちゃんの夕飯の残り。せっかく作ったのに食わねーんだよ。じゃ、俺は寝るから。じいちゃんのみ過ぎんなよ。」
彼はそう言うと、すっと立ちあがって出ていった。身なり、作法は研ぎ澄まされたような気品があるが、口は悪いようだ。
「先生、彼は?」
「ん?今は弟子。つーか、使用人。」
「ヘルパーさんか何かです?」
「お前、俺を爺扱いするな!!こっちはまだ健在だ。」
彼はぽんぽんと股間を叩いた。
「先生、おいくつになられるんでしたっけ・・。」
「俺は95だ。お前もやってるか?」
「は・・はぁ・・。」
僕は体を温める目的もあり、酒を口に含んだ。
「美味しい・・。」
「ああ。役所の人間がなんかの祝だって持ってきた上級品だ。俺の絵が、評価された・・とか言ってたな。」
「それは勿論ですよ。先生の絵は言葉に出来ない。水墨画って、一色で描かれているなんて知りませんでしたよ。どうして僕に教えてくれなかったんですか?」
「フン。お前は拘ってたからなぁ。あん時、俺が何を言っても聞かなかったじゃねーか。今更教えろってったって虫が世過ぎだ。馬鹿が。」
「すみません。」
彼が美味しそうに酒を口に運ぶので、僕もついつい・・飲んでしまった。焼いた川魚も程よい塩味で、キノコの煮付けはふくよかな甘さがありどちらも美味だ。どちらかというと京仕込みの味付け・・。気がつくと、彼は一升瓶を抱いたまま眠りについていた。彼からビンを取り外し、部屋を見回すと万年床が隅にあり、彼を起こさないように抱きかかえて布団に寝かせた。体躯の割には軽い体。
「・・少し、痩せましたね。」
僕が居た頃から、彼は酒に飲まれていた。ただ、眠るよりどこか1点を見つめて何かを見ることが多かったが、年を・・とったのだろう。15年ぶりの再会で、覚えていてくれているほうが・・嬉しかったけどね。しんと静まり返った部屋。かすかないびきの音だけが響く。あの頃僕は無理やり何かを求めていた。好きでもない語学を学びながら、何かがむしゃらだった。大学の夏休みに訪れたこの場所は、僕に何かをくれたのだろうが僕はそれを感じることなくここを去った。幼い頃から続けた精神修行の、ただ一つに過ぎなかった・・。小さい頃は気に食わないことがあれば人に手をあげる乱暴者として僕の存在があり、そのことに手をやいた両親が僕を様々な美術家の先生のところに向かわせた。その時だけは大人しかったっけ・・。
「ねえ、先生。僕はあの頃と・・変わりましたか?」
眠っている彼に聞こえるはずも無い。僕はコップ達を台所に運び、洗って食器籠に伏せた。雪はまだ、振り続いている・・。