「飯、食う?」
そう、青年に揺すり起こされ、僕は体を持ち上げた。僕の体には分厚い毛布がかけられていて、スーツの上着は着ていないしネクタイも無い。シャツのボタンは幾つか外されておりベルトもしていなかった。
「あんた、堅苦しそうに寝てたから外したよ。そっちにおいてある。じいちゃん運んでくれてありがとな。」
彼は朝食の用意をしつつ、壁にかかっている僕の持ち物一式を指差した。そんなことをされたのに目覚めなかったのか。いくら疲れていたからって・・。僕は呆然として髪をかきあげた。
「食器片付けてくれたのあんただろ?助かったよ。」
「あ・・いや・・。」
「着替えは?何日居るの?はい、飯。」
茶碗にご飯が盛られ、それを呆然としている僕に差し出す彼。取り敢えず出されたものを手に取るが、茶碗を床において毛布をたたんだ。
「そんなのいいのに。俺がやるよ。ほら、飯冷める。」
「あ、はい。」
床に置いた茶碗は、彼が手にとって丸机の上に置いた。僕が席につくと彼はお椀に味噌汁をよそる。
「先生は?」
「じいちゃんは昼過ぎまで起きないよ。なあ、何日居るの?」
「休みは一週間貰って来ましたけど・・。あ、そんなに長く滞在させてもらうつもりは・・。」
「居てくれよ。じいちゃんの嬉しそうな顔久しぶりに見た。俺、文仁。あんた、高塚、何てーの?」
「泰生です。」
「はるな?可愛い名前。幾つ?」
「32です。」
「げ。年上だった?ごめん。俺は27。俺は呼び捨ててくれていいからね。高塚さん。」
にっこりと笑う彼。テンポよく聞かれ、つい答えてしまう。どこかの誰かさんと似てるなぁ・・。肩ほどの長さの髪をゆるく結い、前に垂らしている。一瞬、スレンダーな女性に見えた。箸でご飯を食べる姿は礼儀正しいが、止まることが無い言葉。血液型、誕生日。身長体重。質問攻めにされつつも一つも嫌ではなかった。
「ふーん。あ。おかわりは?」
すっと伸ばされたしなやかな手。着物の裾をそっと手で押さえる作法・・。意外だが、・・色気を感じて・・。
「もう食べない?でかいくせに小食だね。」
「あ・・。朝は、あまり・・。食べないことも多いので・・。」
「えー?ちゃんと食わなきゃ。」
彼は自分の茶碗にご飯を盛り付け、パクパクと食べ始めた。その口元に見入ってしまう・・。気を紛らわしつつ、食事を終えると彼は温かいお茶を出してくれた。
「ありがとうございます。」
「んな丁寧にしゃべんなくていいよ。堅苦しいなー。」
「え?あ・・。すみま・・。・・ごめん。」
「うん。それでいい。座ってて。俺片付けてくるから。」
食器をお盆に乗せる彼の動作。裸足の足。腰付き・・。彼に目が離せない。彼はそんなこと梅雨知らず、お盆の上に全ての食器を乗せると台所に運んでいった。彼の腰元を見ている僕・・。僕は何を考えているんだ・・。手にしていたお茶を机に置くと、立ちあがって台所に向かった。
「ご馳走になったので、片づけくらい手伝いますよ。」
「その言葉直ったらな。暇なら外でて雪かきしてくれよ。」
「あ・・はい。」
「はいってゆーな!!うんか、ああって言え。」
「・・う・・うん。ごめんなさ・・あ・・。」
ぽりぽりと頭をかくと、彼は肩を上げた。部屋に戻りベルトを締め、そのまま外に向かおうとしたら後ろから布で首を締められた。
「高塚さん、外は寒いんだよ?マフラーくらい貸してやるって。」
「あ・・ああ。ありがとう。」
ポンッと背中を叩かれた。
「言えるじゃん。」
僕が振りかえると彼は台所に向かっていた。マフラーを適当に首に巻きつけ玄関から外に出る。今日は晴天だ。太陽の光が、周りの木々の間から差し込まれて雪に反射し、非常に眩しい。そして、この軽装では寒い。適当に家の周りを歩くと、使い古されたような雪かきがあり手に取った。どこからどこまでかけばいいのか分からないまま雪をかく。雪の深さは20センチほど。革靴が簡単に埋まる。動いたせいで体は温まり、一息・・と煙草を吸おうと思ったが、持ってきてないことに気がついた。
「はい。これだろ?」
後ろから手が伸び、その手にはタバコとライターが握られていた。
「ああ、ありがとう。」
「どういたしまして。もうこんなに雪かいてくれたんだ。あーあー。高塚さん汗だくじゃん?って、革靴だし。」
「ん・・。ああ、本当だ。汗なんて久しぶりにかいたな・・。」
煙草を燻らせつつ、空を見上げた。
「着替え、無いんだろ?街に食料買出しに行くから、ついでに行ってやるよ。ちょっと図らせて。」
彼はそう言うと、突然僕の体にしがみ付いた。あごの下、首元ほどにに彼の頭頂部がある。ナツキさんより少しちいさい。越賀君・・くらい・・かな。彼は僕の体のあちこちを触り、最後に手を繋いで伸ばした。自分の肩と長さを比べてうんと納得する。そしてまた、僕にしがみ付くと僕を見上げた。
「な・・何?」
「へー。やっぱ綺麗な色の眼だなー。外人みたい。こんな色の買ってこよ。」
彼はぱっと僕から離れ、雪の塊のほうに歩いていった。そして何か雪の中から掴むと、ぐっと引っ張る。それはシートで、雪の塊だと思っていたものの中からスポーツカーが出てきた。彼はシートをぽいっと放ると、ドアを開けて運転席に乗り込む。エンジンをかけると爆音のような音が響き、中からロック調の大音量な音楽が聞こえた。
「すげーだろ?俺の愛車。フェアレディーZ。改造済みで雪道だって走る。」
ぐっと親指を立てて見せる彼。僕には、車の価値はわからない・・。欲しいと思っても、免許が取れないので持っていても仕方が無いし・・。
「綺麗だろ?この赤いボディー。」
「あ、・・赤なんだ。」
「え?」
「分からないんだ。そう言われても・・ね。あ、外装はかっこいいよ。少し煩いけど・・。」
「そう?」
彼は少し不満そうに見えたが、そのまま車に乗り込んで出かけていった。・・・あ。カード渡すの忘れた・・。雪かきを玄関に立てかけ、僕は部屋に入った。だるまストーブに当たる先生がふと振りかえる。
「お?夢じゃなかったか。」
「はい。お世話になってます。」
「いやいや。で、俺に何を聞きに来た?」
僕は先生と少し距離を置いて座った。先生はじっとだるまストーブの炎を見ている。
「水墨画の色の事を聞きました。墨、一色なんですね。僕は一色の絵なんか無いって思っていました。」
「ん・・。まあな。お前ならそう思うかもしれない。」
「・・・はい。僕は・・。」
「お前には、俺の絵は描けねーよ。だって、嫌いだろう?」
「そんなことは・・。」
「いや、どっちかつーと、洋画のほうが好きだろう。墨で風景ばっかし描いてやがった。」
彼はぼんやり見ていた炎からすこし離れ、僕のほうを向いた。
「こだわんな。お前さん、お前さんなりのジャンルっつーもんを作りャいい。一色だろうが、配色ばらばらだろうが。ピカソみたいな抽象画みてーに風景画描いたって誰も文句はいわねーよ。お前さんが満足するか否か。だ。昔、基礎は叩きこんだ。俺には教えるこたぁねー。ここでゆっくりと体休めて行けや。働き過ぎだ。」
「はい・・。ありがとうございます。・・先生、お聞きして宜しいですか?」
「ん?何をだ?」
「彼、文人君は・・。お孫さんですか?」
「ああ・・。あいつはなぁ・・。」
彼はゆっくりと眼を伏せ、軽く口元で笑った。ペシっと音がするほど頭を叩き、撫でる。
「山でな。拾ったんだ。猫みてーな声がしてさ。行ってみたら泣いてたわけよ。俺は、あの子の生まれ変わりだと思ってな。」
「・・はい。」
「五つか、六つか。そんくらいまでここに居た。だが、親の親だって奴が来て渡した。」
「親の・・親?」
「ああ。あいつの両親って奴は無理心中だった。あいつが泣いてる上の木にはふたっつ。躯がぶら下がってたよ。その、女の方の親だったらしい。んで、忘れかけた頃、あいつはここにあの爆音響かせてきた。京都だかの踊りやってる家の家元だかなんだか、堅苦しくって嫌だとさ。置いてくれっつーから、置いてやってる。」
彼はフフフ・・と笑いまた、どこかを眺めて目を伏せる。
「その話はあいつは知ってるから気にするな。認められない事に嫌気が指して両親は死んだが、好きって事は貫いた。その結果あいつが生まれた。そう言ってやって分かれたんだが、血の繋がった奴よりも俺のことが大事だと抜かしてあいつは戻ってきた。俺の言葉がわかってたんじゃねーか?」
「好きと・・言う意味ですか?」
「さぁな。どうとったかしらねーが、あいつはもう五年もここに居る。あの子は・・待っててくれなかったがな。」
彼はまだ、一人の彼女をみているらしい。戦火から帰ってきたら居なくなっていた。そう聞く一人の女性。疎開したのか、結婚したのか。亡くなってしまったのか。何もわからないんだそうだ。だが、先生は見つづける。
「まだ、時枝さんは見えますか?」
「ああ。ここでな。」
彼はぽんと頭を叩いた。
「俺は、あいつがあの子に見えて仕方ない。迎えに来てくれたんじゃねーかなぁ・・。」
「先生、何を仰って・・。」
「もう、少くねーよ。俺はな・・。」
外に爆音が響き、その音が止まった。ドアの開閉の音が聞こえる。
「けっ。帰ってきやがったか。」
「嬉しいくせに。」
「馬鹿言え。あいつの腰に見とれてた男に言われたかねーや。」
「見てらしたんですか・・?」
先生はぷいっと顔を背け、だるまストーブに手をかざした。先生方の観察眼って奴は・・時々憎くなるほど怖い。
「ただいまー。じいちゃん・・っと高塚さん。」
両手いっぱい荷物を抱えて帰ってきた文仁君は、僕らを見て何故か首を捻った。
「何、どうしたの?何か雰囲気暗いけど。」
「そ、そう?荷物何か持つよ。」
「じゃあ、これ。高塚さんの着替えと、歯ブラシとかタオルとか。」
「ありがとう。支払いは?」
「じいちゃんに聞いて。」
彼は一つのビニール袋を僕に渡すと、台所に入っていった。
「あいつの勘は鋭いぞ。」
ぽつり呟く先生は、ただ炎を眺めながらニヤニヤと笑った。
「高塚さん。風呂沸かしたから入って。」
「風呂?このうちにあったっけ・・。」
「じいちゃんが庭に作ってくれた。ほら、早く。冷める。」
手を引かれ連れて来られた庭というには切ない野原。だが木々の間から街の明かりが見え、空と地上に星が瞬いているようだ。その庭の中心に、ドラム缶を横に切ったような物に煙突がついているものがある。その煙突から煙が上がっているが、冷たい空気の中では形状を留めておけないようだ。
「ほら、汗かいたんだから早く入れってば。服、脱がすよ?」
「え?あ、はいはい。入ります。入らせていただきます・・。」
同性だとは言え、目の前で裸になるのはちょっと恥ずかしかった。切れるような冷たい風が肌を刺す。買ってもらったタオルを腰に巻きつけ、パンツを脱ぐと僕は慌ててその風呂のようなものに駆け寄った。一応、木で風呂桶は作ってあるが、その回りは鉄。熱くないのだろうか。ちょいちょいと手で張られたお湯に触れると意外に適温だ。裸足で雪の上を走ったため、その雪を落としてから湯の中に足を入れる。浸かり込んでしまえば意外に快適だ。プラネタリウムの中で風呂に浸かっている感じ・・・。
「どう?なかなかいいだろ?」
僕を見下ろしてにやつく文仁君は、空に向かってはあっと息を吐いた。
「ねえ、この息。高塚さんには何色に見えるの?」
「ん・・。カンバスの色に近いかな。ノートとか、漂白されたって書いてある紙よりは柔らかいような色だよ。何て表現したらいいんだろう・・。生きた、色・・かな。」
「生きた色?」
「うん。作った色と、自然の色って言うのは違うんだろ?なんか、そんな感じ。」
僕は湯船のお湯で顔を濡らし、塗れた手で髪をかきあげた。
「僕の色の拘りなんて、ちっぽけだったんだなぁ・・。間違いだ何て、ほんと、誰も言わなかったよ。純粋に誉めてくれてたんだね。疑心暗鬼より、有頂天、天狗になっちゃいそう。」
僕は頭の後ろで手を組んだ。彼はずっと空を見上げている。
「自信がついたって事?」
「分からない。ただ、やってみようって決心がついた。自由に。僕は僕の絵を描きたいって。何だかわくわくする。こんな気持ちは始めてだよ。」
風呂からあがり、雪の上に腰を下ろした。ぱたりと横になり大の字を描く。
「ちょっちょっと。何やってんだよ。風邪・・。」
「北海道ではよくやったよ・・。まー。もうちょっと若かったけどね。」
「早く立てよっ。せっかく暖まったのにー。」
無理やり腕を引っ張られ、僕は体を起こした。立ちあがらされ、家の中に押し入れられる。体を吹き、パンツをはくと見ないようにしてくれていた彼は僕に浴衣を羽織らせた。
「着られるよな?俺、風呂行って来る。中でちゃんと暖まってるんだぞ。都会人はやわなんだからな!!」
ぴっと僕を指差し、彼は僕の目の前で帯を解き、肩が露になったところで僕は後ろを向いた。
「帯、袋の中ね。」
「あ・・う・・うん。」
何かシドロモドロな返事をしつつ、袋をあさる。帯を見つけ、慌てて浴衣を着て帯を締めた。振りかえらず先生のいる部屋に戻ると、彼は僕を見るなり笑い転げた。
「え?」
「細かいことに拘るな。あいつを食いたいんだろ?いる間に食っちまえよ。後悔するぜ。」
「・・先生・・。僕は・・。」
「あー?見てりゃわからねーって方が嘘くせー。欲しいモンは手に入れろよ。無くす前にな。」
「・・・。はあ・・。」
笑い転げる彼に、僕は何て言って言いか分からないまま隣に座ってストーブに手をかざした。