携帯電話の説明書を読みながら、いろいろボタンを押してみたが・・途方にくれた。
「飯、出来たよ。」
「ん・・ああ。ありがとう。」
電話を机に置き、ダイニングに向かう。テーブルには、僕が刺身。といったのでちゃんと刺身があった。
「酒はどうする?冷でいい?」
「あ・・うん。」
なんとなく椅子に座ると、彼は僕の右隣に腰を下ろした。グラスに冷酒が注がれる。
「ごめんね。なんか、気分悪くさせたみたいで・・。」
「え?ううん。びっくりしただけ。高塚さんこそ、ファーストフードって食わないんだろ?」
「子供の頃は何回か食べたよ。先生の何人かが好きでね。良く連れて行ってもらった。」
酒を一口口に含むと、なんとなく・・アルコールの味がした。これはこれで美味しいが、毎日となると嫌気が差すかもしれないな。そう前に語った話と同化させるように含み笑いをすると彼は分かった?と聞く。何が?そう誤魔化すが、彼の中にある気持ちがそれを誤魔化さなかった。
「安いなりの味?」
「ん?」
「酒。じいちゃんにさぁ。酒買って来いって言われてさ。金貰って、買いに行って。安い酒買って残りは小遣いにしたことがあるんだ。そうしたら、じいちゃんもそうやって笑った。」
「ふーん。」
僕は相槌を打ちながら、また笑った。
「また。同じた。じいちゃんも、笑うんだ。そうやってさ。値打ちのあるものにはそれなりの味があるって。だから金を払う人が居るんだって。俺は酔いたいだけじゃなくて、味わいたいんだって。俺は単に、酔っ払えればいいんだって思ってたからさー。高塚さんも違うんだ。じいちゃんと同じ?」
「さぁ。先生と同じとは言い切れないけど、これはこれで美味しいよ。あまりアルコールに強いほうじゃないから、少し口に入れたいなって思う程度。高いから美味しいとか、そうは思わないけど。あのスーツの店だって、適当に頼んで適当に体に合うものをチョイスしてくれて。便利さに金を払うようなもので、時間と釣り合いが取れればどんな店でもいいんだ。僕は、選ぶ時間が勿体無い。と思うだけ。」
「一週間、じいちゃんのとこに居てずっと考え事をしていただけなのに?」
「僕にはその時間がとても大事で、何事にも変え難いものだったからね。自分のために費やす時間は大切だと思うよ。そのために、削るものがある。僕は、僕の時間を作るために、金を削る。」
ふーん・・・。彼は深く唸り、僕に付いてくれた酒を一口口に含んで、無理やり飲みこんでまずい・・とこぼした。僕はまた、思わず吹き出し笑う。
「価値観じゃない?それぞれ。君の着物、実家のおじいさんに貰ったものだろう?いくらすると思う?」
「うん、そうだけどさ。えー?さぁ。いくらだろ。二十歳のとき、祝だってくれたんだ。」
「着やすいだろう?」
「うん。柔らかくって、居ろ柄も気に入ってるよ。」
「それ、生地は最高級。ある名工の染付けで、仕立ても細工も、国宝級の人間が作った。そう言えば、君は簡単に袖を通すかな。」
「まさかぁ。」
「だよね。でも、気に入って何度も袖を通す。ただ、着やすいから。お祝に貰ったんだから、着てくれないと悲しむかなって思いもあるだろうね。着こなして、ぼろぼろになって。それがもし、この家をも凌駕するほどの高値の一品だと知ったら、君はどう思う?勿体無かった。そう思うか、着られて得をした。そう思うか。」
彼はまた唸り、僕は酒を口にした。赤身マグロの刺身を口に入れ、租借した後にまた酒を口に運ぶ。
「つまり、どういうこと?」
「いいと思うものは、いいということ。高かろうが安かろうが。自分がいいと思う者には損はないこと。まあ、僕の弁解なんだけどね。」
「弁解?」
「言い訳。高いって君は怒っただろう?安い買い物をして君は誇らしげだった。お互い、その価値観の中満足したならばそれはそれで十分って・・言いたかっただけなんだけど・・。クドイ言い方だったかな・・。」
「難しいよ。それならそれで簡単に言ってくれればいいのに。」
「ははは・・。先生も、同じ事を教えてくれたはずだよ。彼は自分を貫くその意思を僕に教えてくれた。だけど、拘り過ぎるなっ・・て。彼は自分を後悔してた。それも・・教えてくれた。君は今、満足している?僕の元に転がり込んで、来なきゃ良かった。って思ってないかな。」
「俺・・。」
彼は小さく呟くと、沈黙した。僕は刺身を肴に酒を口に運ぶ。酔いが回り、煙草を口に入れてふうっと・・息をつく。悪い酒ほど強く、体に回りやすい。酔うための酒は・・強い。
「俺、始めてさ。じいちゃんと同じこという人にあったんだ。実家のじいちゃんが、尊敬する人と同じことをいう人は本物。って言ってたのを思い出してさ。それで、高塚さんについていこうって・・思った。」
「僕が・・先生と同じ事を言ったの?」
「ああ。高塚さん、夕日を見ていっただろ?朝日か夕日か分かる絵が描きたいって。じいちゃんも言ってた。そりゃ、じいちゃんと高塚さんの技法は違うけど、俺を描いてくれたとき、モデルが俺じゃなきゃ、凄い力強くて、思いがあって、綺麗で・・・。写真みたいに、時間を閉じ込めてるみたいな・・。なんって言うか・・。」
僕は机に肘を突き、その手の上に額を乗せて・・うとうとと夢見心地だった。
「ちょっと、高塚さん?俺の話聞いてよ。」
「う・・ん・・。聞いてる・・よ。」
「嘘だ。寝るよ。それ。」
「ん・・。疲れたんだよ・・。きっと・・。君と一日一緒に居て楽しかったから・・。僕ね。君と・・会えて。嬉しいよ。」
「はーいはいはい。そういうことは素面で言って欲しいなぁ。ハイハイ。ネンネしましょうね。お休みのチューしてあげるよ。ベッド行こう。」
ゆっくりと立ちあがらせられ、僕は寝室まで連れてこられた。ベッドに寝かされて服を脱がされる。
「エッチ。また、僕をからかうの?」
「からかうわけないだろ?本気で抱いたんだから。溶けちゃいそうな目で俺を見るなよ。どっちが年上かわかんなくなるじゃん。」
「優しくされると甘えたくなるね。僕は本来・・とても甘えん坊・・らしいから。」
「らしいじゃなくて、そうなんだよ。ほら、・・ね。」
彼の顔が近づく。口と口を合わせ、キスになり・・。求め合う。
「お休み。酔っ払い。寝入っちゃうまで待つからさ。」
彼は僕の髪を撫でて明かりを消して部屋を出ていった。本当にそのまま、寝入ってしまったらしく目覚めると文仁君は僕の胸の中で寝息を立てていた。彼を起こさないよう置きあがり、目覚し時計を掴む。
「・・九時・・半・・?」
ぼんやりしたままタバコをくわえて火をつけ、煙を吐き出しながら時計を置いた。今日は会社に行かなけりゃいけない・・。突然一週間の休みを貰い、土日の定休の延長までしたのだ。
「ん・・・。高塚さん、おはよう・・。」
「あ、起こしちゃったかな。おはよう。寝てていいよ。」
「んー。」
彼はのそりと体を上げると、天井に向かって大きくてを伸ばして背伸びをしながら欠伸をした。
「高塚さんってさー。寝ちゃうと何しても起きないんだねー。悪戯したのにさー。」
「・・ん・・・。えっと・・。」
それは謝るべきか、そうでないのか。いつもはそんなことはないのだけど・・。
「あ。朝飯食うだろ?作るよ。」
「いいよ。会社に行ってから何か食べるよ。」
「だーめ。ぜーったいにそんなことないし。・・って、会社って何時からなんだ?俺、会社勤めしたことないからさー。」
「普通は九時かな。」
彼は時計を眺め、目を丸くするとベッドから飛び降りるようにして下りて慌ててドアを開けていった。僕はゆっくりと煙草を吸い、灰皿にタバコを押しつけて火を消した。寝室を出て洗面所に向かい、歯を磨いて顔を洗い髪を整える。洋服一式がある部屋に行き、適当にスーツらを身につけた。リビングに行き鞄に荷物を詰める。
「飯出来たよ。ってさー。なんで夏物のスーツ着てるわけ?昨日スーツ買ったじゃん。」
「あれ、これも夏物?」
「ハイハイ、脱いで脱いで。」
背広とズボンを脱がされ、彼が持ってきたスーツを着こむ。
「そのスーツじゃ、ネクタイあわないな。飯、食ってて。」
彼はネクタイを解いてまたリビングを出ていった。僕は食卓につき、箸を持つ。ご飯、味噌汁。焼き鮭。目玉焼き。味付け海苔。なんか、旅館の朝食のようだ。と・・いうか。自宅で朝食を摂るのは何年振りだろう。黙ってご飯を食べていると、彼は慌てて僕の後ろに立ち、僕の首にネクタイを巻きつけた。
「そんなに慌てなくていいよ。ご飯、美味しいよ。」
「だって、大遅刻だろ?」
「いや。普通。僕は遅いときには11時を過ぎて出社したりしてるから。」
「え?いいのそれで。」
「その代わり、帰りは深夜だけどね。」
彼は不思議そうな顔をしながら、僕の右となりにある椅子に腰を下ろした。
「ご馳走様。」
「あ。お茶入れるよ。」
「いいよ。僕が入れる。」
「主ってやつはちゃんと座ってな。」
彼はまだ食べ終わっていないというのに、椅子から立ちあがって急須を手にするとほうじ茶を入れてくれた。湯呑から香ばしい香りが漂う。それをゆっくりと口に運び、僕は彼が食べ終わるのを待った。
「行かないの?会社。」
「作ってもらったんだから、片づけくらいしようかな・・って。」
「いいよ。俺のやることなくなっちゃうじゃん。」
「棚。買いに行くんだろ?」
「そんなのすぐに出来るよ。」
「そう?なら、お願いしようかな。」
「されなくったって俺がやるから。」
「ありがとう。」
僕は椅子から立ちあがり、なんとなく巻かれたネクタイを直した。右手に腕時計を巻く。時刻は10時35分。僕は電話の受話器をあげ、マンションつきのタクシーへ内線をかけた。
「あ、高塚です。空いてますか?」
「はい。お待ちしております。」
そんな簡単な会話で電話を切ると鞄を持つ。
「どこに電話したの?」
「ここのタクシーへ。」
「俺が送ってくのに。」
「いや。君も使うといいよ。月末引き落としで楽だし、迎えにも来てくれるし。・・あ。棚。郵送だけは・・。」
「分かってるよ。」
「あれ?話したっけ?」
「うん。聞いた。」
僕は財布を出し、カードを一枚彼に渡した。
「好きに使って。じゃあ。行ってきます。」
「ちょっ・・。いいの?これ、ブラックカード・・。」
「もう一枚あるから。帰り、何時になるか分からないから先に休んでいて。」
「あ。メールしていい?」
「いいよ。返せるか分からないけど。」
靴を履き、玄関を出ようとすると上着を引っ張られた。
「何?」
「ん。」
彼は口を尖らせて僕を見上げている。
「行ってきますの、チューは?」
「・・あのね、新婚さんじゃないんだから・・。」
「俺はそう思ってるもんね。チューしてよ。」
軽く拗ねる彼。仕方なく、頬にキスをしようとしたが目標をずらされた。チュッ。そんな音をたて口を吸われ・・。顔が昂揚する。
「行ってらっしゃい。気をつけてね。」
「あ・・ああ・はい・・。行ってきます。」
玄関を出て・・。唇に指を当てた。なんとなく嬉しくて苦笑する。エレベーターに乗り、地下へと向かうボタンを押した。


 会社に着き、受付の二人に手をあげながら階段を上がる。四階まで行き、長い廊下を歩くと至るところに倒れこむ人が目に付いた。多分、力尽きて眠っているのだろう。彼らを踏まないようにして部屋に向かい、椅子に座ってタバコを口にくわえた。
「高塚室部長。おはようございます。お休みはいかがでしたか?」
タイミング良く、秘書課の桜坂さんが部屋に入ってくる。受付から連絡でも入るようになっているんだろう。机に乗る山のような書類に目を通しながら、ふっと煙を吐き出した。
「うん。ありがとう。楽しかったよ。」何か変わった事はない?」
「はい。苦情が何件か・・。一番は、電話に出ろ。だそうですよ。」
彼女は笑いながら机に暖かい珈琲を置いてくれた。
「ははは・・。電話、壊しちゃってさ。新しくしたんだ。ごめんごめん。」
タバコを右手の指に挟みながら受話器を持ち、左手で書類にサインしながら右手の小指でボタンを押す。
「あら。では私が聞いた番号は変わってしまわれたんですね?」
「ああ・・。うん。・・あ、高塚です。・・ああ、今戻りまして。はい・・。」
煙草を消し、書類に目を通しながら耳を傾ける。次々とやってくる仕事。僕が戻った。そんな話しが会社に広がったのか、僕の部屋の応接場は短期会議の場に変わっていった。カップに微かに残る冷えた珈琲を口に入れる。部屋の中で聞きなれない電子音が響き、辺りを見まわした。
「室部長、鞄の中じゃないですか?」
「ん?・・ああ・・。」
机に立てかけてあった鞄を手にし、液晶部分が光っている携帯電話を手にする。メール受信。そう画面にかかれていた。なんとなく、昨日読んだ説明書の文面を思い出す。記憶があるような無いような、ワケもわからずボタンを押すと画面が切り替わった。
「ご飯、何食べた?俺はうどんにしたよ。」
そんな文字が記載されていた。
「・・まだ食べてない。・・うどんか。じゃあ、僕もそうしよう。」
「室部長、メールですか?言葉で答えても駄目っすよー。」
「あ・・。そうか。」
画面を切り替え、携帯は上着の内ポケットに突っ込んだ。
「コレっすか?」
小指を立てて見せる彼。五人いたチームは一斉に僕を見た。
「いや。何でも無いよ。・・で、なんだっけ。」
軽く話しを誤魔化しつつ、仕事に打ち込む。一段落し、僕は食堂に行きうどんの食券を買った。
「あらぁ。高塚さん。今日はカレーじゃないわねぇ。」
「たまには、いいかなぁ・・って。まだありますか?」
「ああ、あるよ。席についていなさいよ。持って行ってあげるから。」
「あ、すみません。お願いします。」
三時も過ぎた食堂は人の姿はなく静かだった。定位置。そう呼ばれそうな一角に腰を下ろし、持ってきた書類を机に広げる。タバコをくわえ、一人唸りながらペンを走らせている机にどんぶりが置かれた。
「はい、お待ちどう様。素うどんじゃ栄養偏るから、卵おまけね。」
「あ・・。すみません。ありがとうございます。ここ、四時まででしたよね。」
「うん、まあ・・。ゆっくりお食べ。仕事しながらじゃ、消化不良起こすよ。」
「あ・・。はい。」
返事をしたものの、左手でペンを走らせながら右手で箸を握る。犬食い状態で麺を口に運び、お茶代わりに汁を飲んだ。
「片付けていいかい?」
そう、おばちゃんに言われるまで僕は箸を握り締めていた。
「え?あ、ああ。ご馳走様でした。すみません、時間・・。」
「いいよー。ここならあんた、自分の仕事が出来るんだろ?これは片付けるけど、ゆっくりしていきな。」
「重ね重ねすみません。もう行きますね。ありがとうございました。」
どんぶりを持ってくれている彼女に頭を下げつつ、机に広げた書類を片付けた。慌てて部屋に戻り机につく。
「あ。泰生、やっと戻ってきた!」
「え・・。ナツキさん・・。お久しぶりです。」
「ホント。君がここから飛び降りてくれたときには心臓が止まるかと思ったわよ!!」
彼女は書類を机に叩きつけると、僕と顔を合わせじっと僕の目を覗いた。
「ごめん。でも、ああでもしないと外に出られなかったじゃないか。」
「そういう話しなの?もう、危ないんだからやめてよね。・・あの後、なんとか会議は終わったんだけど、君が言い残していった先生は君が電話しなきゃいやだって二時間粘られるし。締め切りは明後日だって言うのに、捗らないし。この書類は緊急だからね。手っ取り早くサインして。」
「ごめんごめん・・。まあ・・。なんとかなるよ。」
先に見ろ。そう言われ、彼女の持ってきた書類に目を通す。・・が。その中のサインをする場所がなんとなく妙だ。筆圧で下の紙に字が移るような・・。紙を捲っても二枚あるわけでもない。
「どうしたの?何か変?」
「・・ねえ、なんか細工して無い?これ・・。」
「してないわよ。そんな手間のかかること。」
彼女は僕の後ろに回り、僕の肩に手を絡めて体重をかけた。柔らかな乳房の感触が背中に当たる。
「本当に?」
「何よ、疑り深いわね。・・泰生、君・・。可愛い子猫ちゃん飼ってるの?」
「え?いないよ。」
「じゃあ、ウサギちゃん・・?それともデリバリー?」
「何が。何の話してる?」
書類を良く読み、サインと違う場所に許可のサインを書いた。僕の体にしがみ付いている彼女に見せる。
「休みの間に女の子連れこんだかって聞いてるのよ。」
「・・え?」
「それもとーっても情熱的な子ね。」
僕の顔の前で書類を開くナツキさんは、サイン場所にサインが無いので指を指した。
「ここに書いて。エロオヤジ。」
「何それ。で、何でここに拘るんだ?サインはしたよ?」
「馬鹿泰生ーーっ。」
彼女は書類を机に投げ捨てると、両腕の手首で思いきり僕の首を締めた。
「イタイイタイ。苦しいって。ナツキさん。」
「白状しろ。部屋に女の子連れこんでるんでしょ?」
「ないないないない。ないってば。」
「ほんとーに?じゃあ、今夜遅くなっても構わないわけね。」
やっと・・開放された。思いきり息をつくと彼女は僕の首を爪で突いた。チクッと刺激が痛い。手で首を擦る。
「そこ、ぶつけたの?」
「え・・。どうやって?」
「知らないわ。」
彼女は素っ気無く、書類を手にしてまたくるといい部屋を出ていった。
「・・なんだ・・あれ・・。」
ネコやウサギ。デリバリー・・。女連れこみ?・・首・・。はっと気がついた。文仁君は言っていた・・。悪戯した。・・って。
「うっそー・・。」
首の後ろに手を当てて、僕は暫く途方にくれた。