珈琲カップの中身を眺めながら、彼女はちらりと僕を見た。
「着物似合うわね。にゃんこのお見立て?」
僕は左隣に座る文仁君を見た。ぽかんとした表情で、前に座る夫婦を眺めている。越賀君は彼女をつつき、何かを示唆した。
「もう。わかってるわよ。あのね、泰生。さっきの話は嘘なの。君を困らせてやろうって思ったの。」
「何のメリットがあって?」
「ずっと強張ってたじゃない。冗談よ。って、済ますつもりだったのに・・。あんなこと・・。」
彼女はカップを持ったまま、溜息をついた。
「ねえ、知ってるんでしょ?あの爆発物の送り主。あれね。監視カメラの画像分析した結果、白い箱に墨のようなもので君の名前が書かれていたの。そこに、黒いリボンが巻かれていた。意味することわかるでしょ?爆発の威力は夏の二倍よ。そこに人が居たら、確実に死んでるの。わかってることがあれば言って。君、本当に狙われてるのよ。この子残して死んじゃう気?」
彼女は文仁君を指差した。
「あなたが好きで巻き込まれているなら勝手にしてください。そこに、会社や・・樹を巻き込まないで欲しい。話してくれないのなら、俺は身勝手ですが、樹を退社させます。」
「な、何言ってるのよ。私は嫌よ。」
「嫌でも。俺は手に入れた女を守る。どんな手段を使っても。君は会社に居れば、貴方のところに行く。そこにもし、危険があれば。高塚さんは君を守らない。」
「そんなこと判らないじゃない。」
「君を守るのは俺だ。」
僕らを無視して彼女らは痴話喧嘩を始めた。しかし、なんとも羨ましい。
「そうかもしれないね。僕は保身だけ考える。・・越賀君の言うとおり。全く、君は・・かっこいいよ。僕も人を守るようになれれば一人前かな。」
自分でいれた珈琲を口に運びながら、苦笑した。
「とし君、ほら。謝って。」
「何で?」
「何でって・・・。」
「勝負には。俺が勝った。こいつは俺の女ですよね。守って当然じゃないですか。」
彼女は真剣に俺を見る越賀君の体を揺する。
「そうだね。好きにしたら?僕は今更奪おうとは思わないけど。」
「もう。そうじゃないでしょ?爆弾魔の話を聞きにきたんでしょ?泰生、心当たりがあるなら教えて。」
「無いよ。」
「嘘よ。」
「知らない。僕も巻き込まれてるだけだから。勝手に巻き込まれて死なないようにね。」
僕は立ち上がろうとしたが、文仁君に緩く掴まれた。強制力は見えないが振り払うことも出来ない。
「みんな・・。なんだか苛々しているね。飯、食ってないんだろ・・?俺、なんか作るよ。」
か細い・・小さな呟きのような声。彼は俯いたまま口をつぐむ。
「あ。ほんとー?ちょうどお腹空いてたのよー。何せ、二人分でしょ?」
明るく振舞うナツキさんに、文仁君は顔をあげ、軽く笑った。
「うん。じゃあ、何食べる?嫌いなものあったら言って。」
「大丈夫。何でも食べるわ。」
「・・よかった。」
立ち上がろうとした彼は、足元がふらついた。僕が無理やり彼を犯したせいだろう。体を支えてやると力なく笑う。
「少し、休んでおいで・・。」
「ううん。何かしていたいんだ。高塚さんはリクエストある?」
「いや・・。別に。」
「そう。」
彼はまた笑い、ふらふらとキッチンへ歩いていった。それを軽く目で追う。
「どうしたの・・彼。あ。名前は?」
「文仁君。・・別に。何でも無いよ。」
「ふーん。てっきり、君が憤りをぶつけたんじゃないかなぁーって思ったんだけど。・・当たり?」
長い付き合い、彼女は僕の事行動を読む。だが、一つずつ確かめるように質問をした。
「まあ・・ね。」
「あーあー。もう。君は何やってんのかなぁ・・・。あの子、いくつ?」
「27。」
「まだ判らないんじゃない?としくんだってまだ突っ走る傾向あるのに。」
「泣かれたよ。」
「でしょー?君はほんと、言葉を使わないんだから。態度で分かれって言うほうが無理よ。付き合ってどのくらいなの?」
「・・三週間・・くらい。」
「君ねー。思いっきり馬鹿ね。」
「すいませんねー。そういうナツキさんも原因の一つだったんだから。」
「あ。私のせいにするの?嘘だって言ったじゃない。冗談だって。」
「今言われたって事は済んだ後なの。」
にらみ合いながら小声で彼女と話し、何故か岡君はおろおろと交互に僕らの顔を見る。
「それに、冗談にしては・・。」
「ビビったでしょ?」
「当たり前だろ。なんでそんな・・。」
「君の本心。聞いておきたかったのよ。ちゃんと答えてくれたことは嬉しいわ。サイン書いてくれなかったけど。ほんと君は疑り深くなったわねー。」
「ナツキさんの下についた経験上。危険なものにはサインするなってね。あれ、何だったの?」
「犯人。教えてくれたら教えてあげる。」
「じゃあ、知りたくない。」
「やっぱり!!知ってるんじゃないの。言いなさいよ、泰生!」
彼女は突如立ち上がった。腰に手を当て、仁王立ちで僕を見下ろす。
「嫌だ。知らないことは言えないよ。」
「うそつき。そーですか。そんなに秘密を抱えていたいなら好きにすればいいじゃない。会社のみんなが死んじゃっても君一人のうのうのと生きてればいいじゃない!!」
「ああ。生きてやるよ。何でも抱えて言わずに死んだように生きてやるよ!!興味本位で何でもわからないからって聞くな!」
「わからないから聞くんでしょ??」
「二人とも、やめて。樹、落ち着いて座れ。」
越賀くんは彼女の腕を掴んで無理やりソファに座らせた。僕はタバコに手を伸ばし一本取り出したが、ちらりと彼女を見てタバコに火をつけるのをやめた。
「あら、今更優しいじゃない。降ろせって言ったくせに。」
「やめろ。樹。高塚さん、今更言いますけど、俺は二人の仲を知ってました。だけど勝ったのは俺で・・。今、彼女を。樹を傷つけるのはやめてください。」
「お前ら・・。本当に何しにきたんだ・・。二人で僕をけしかけて何が楽しい。」
「楽しくなんか無いわ。」
沈黙が続いた・・。僕ら三人。ソファに据わったまま目をあわせることなく黙り続けている。だが、その均衡を破ったのは僕だ。どうでもタバコが吸いたくなり、バルコニーに出る。冷たい風が吹き上がる。無理やりタバコに火をつけて深く吸いこんだ。手すりに身を預け、頭を抱える。苛々しているのは・・僕。それに感化されて二人も憤る。文仁君はそれに耐えられない・・。カラカラ・・と窓が開く音が聞こえた。
「高塚さん。飯、出来たよ。」
文仁君の声に僕は答えなかった。振り向きもせず、ただ遠くを眺めてタバコをふかす。
「ねえって・・。ねえ・・。飯。・・ご飯。作ったよ。食べようよ。なあ。俺何の為に作ったと思ってるんだよ。聞いてよ・・。答えてよ。ねえ・・。」
突然着物の裾を引っ張られ、驚いてビクついた。彼の言葉の前半は聞いていたが、後半は全く耳に届いていなかった。勝手に、もう部屋に戻ったものだと思っていた。振り向くと、彼は真っ直ぐ僕を見上げたまま口を真一文字に閉じ、ぼろぼろと涙を流しながら肩を揺らしている。
「ごめん。聞いてなかった。ほんと、マジに。ご飯できた?」
「うん・・。」
「ああ、ありがとう。食べよう。」
「高塚さん・・の・・・。ばあか・・。」
しがみ付いてくる彼を抱きしめた。
「ごめん。ごめんな。ごめん。・・怖かった?僕と彼女はね、最初はうまが合わなくて、顔を合わせるたびにあんな言い合いしてたんだ。こっちはそれに慣れてるから・・衝動的なスキンシップとでも言うのかな。ぶつけあって、言いたい事言って。叫んでさ。後はすっきりするんだよ。彼女なりに、僕を落ち着かせてくれようとしたんだ。」
「わかんないよ・・。そんなの・・。」
「うん・・。僕も、久しぶりで・・。興奮し過ぎたね。文仁くん、さっきは・・ごめんね。辛かった・・?」
「俺・・。胸が痛かった。」
「心臓?」
「ばあか。心。」
彼はプッと吹き出すと、僕から離れて軽く僕の胸に拳を当てた。強く涙を拭うと一つ息を呑む。
「高塚さんの想いが入ってきたみたいな・・そんな気分だった。ああ言うとき、叫ぶか泣くかすれば?」
「・・出来ればね。それ、忘れてたよ。今彼女と叫んで思い出したところ。行こうか。ご飯冷めちゃうね。」
バルコニーから部屋に入ると、ナツキさんがニヤニヤと笑いながら腕組みをして立っていた。
「優しいじゃない。大事にしてるのね。」
「あなたのことも大事だったよ。」
「あら。過去形?」
「・・・。」
僕は越賀くんを見て軽く笑った。
「大事にして貰ってるんだろ?僕の出る幕は無いよ。」
文仁君は僕の背中を押した。僕が邪魔で部屋に入れなかったようだ。窓を閉め、彼はまた僕を押して食卓に向かう。
「ふみ君、ごめんねー。お姉さん怖かった?」
「美人台無しって感じ。」
「あら。言うわね。誉めてもらったのかしら・・。」
彼女は首を捻りながら、越賀君を僕の前に座らせた。文仁君が温かいご飯を持った碗を机においていく。
「文仁君。ごめん・・。熱燗、頼めるかな。」
「え?いいけど・・。ぬる燗のが好きだろ?いいの?熱くて。」
「ん?」
「冷まして飲んだら違うんだからね。お姉さんは・・ああ、妊婦か。旦那さんのほうは?」
「冷でお願いしていいですか?」
「冷ね。」
僕と彼女は越賀君を見やった。彼、下戸じゃなかったか・・。
「大丈夫?」
「あ。はい。俺も少しは飲みたい気分で・・。さっきはすみません。生意気な事言って・・。」
「いや・・。いいんだよ。正論だと思う。」
机に置かれたグラスまで冷された冷酒。僕の前にはほんのり暖められた徳利と盃が置かれ、文仁君は椅子に座る前にビール一缶一気に飲み干した。
「ぶはっ。にがーい。何でこんなの美味いかなぁ。」
僕の右隣に座り、唇を拭う。
「あはははは。とし君とおんなじ事言ってる。・・?とし君、いくつだっけ・・。」
「え?俺?26だけど?」
「俺27!!俺のが年上ー?」
「やっだー。とし君老けてるー。」
僕は思わず吹き出す。
「高塚さんはおいくつでしたっけ?」
「僕は32だよ。」
「歳の話は止めて。」
「お姉さんが言い出したんだよ。・・・お姉さんが一番上・・だね。」
「何で知って・・。まさか、泰生?」
「えーっと・・。頂きます。」
僕は手を合わせ、頭を下げた。何かと話ながら食事をし、ほろ酔い気分になる。
「あのですねー。ほんと、俺が勝ったんですよ。」
酔っ払いになり越賀君は僕を指差しながら語る。
「ハイハイ。負けました。君の色男ぶりに負けましたよ。」
「しっつもーん。とし君しんちょーは?」
僕の酒をちょびちょびと飲んでいた文仁君も酔っている。
「君付けで呼ぶなー。」
「俺より年下じゃーん。俺は様づけで呼んで。」
「呼べるかっ。」
「ほらほら、身長何センチー?俺は170−。」
ぐっと言葉を飲む越賀君。二人のやり取りが楽しく笑う。
「人間。身長じゃないと思うわよ。歳でもないわ。」
彼女のそんなフォローが仇となり、二人立ち上がって背比べを始めた。明らかに、文仁君の方が身長が高い。堪え切れず笑うと、僕も立てと言われた。しぶしぶ立ちあがる。頭一つはゆうに違う慎重さを見下ろすとナツキさんも立ちあがった。
「私の勝ちよねー?チービ。」
ちびじゃ無い!!二人同時に叫ぶ。肩を揺らして笑う僕に文仁君はしがみ付いた。
「何?」
「ちゅーして。」
「ちゅう?」
「んー。」
酔ってキス魔になったのか。唇を尖らせて擦り寄る。酔った勢いもあり、ディープキスをしてやると彼は床に座りこんだ。
「軽くで良かったのにー。」
腰砕けになりながら叫ぶ。彼を立ちあがらせようと手を引っ張っていると、今度はナツキさんが僕にしがみ付いた。
「私にもご褒美頂戴?」
彼女は酒を飲んでいないが、目が潤んでいる。
「何の褒美?」
「妊娠したこと。」
見詰め合い・・唇を近づけ、すんでのところで二人して越賀君に視線を注ぐ。目を丸くして見入る彼。どちらが先に笑ったかはもう分からないほど笑った。夫婦二人の前で何度も文仁君とキスを交わす。何合の酒を飲んだだろう。岡君は床に大の字で大いびきをかいて眠り、ナツキさんに毛布をかけられていた。僕は机に肘をついた状態で頭を垂れていたが、肘がずれて目覚め・・・。文仁君は後片付けをしていた。立ちあがり、机に残る皿を持ってシンクにいれる。泡立つスポンジを手にその皿を洗った。
「あ。起きた?いいよ、俺が洗うから。」
「ん・・。拭いて。」
シンクにいくつか残る皿やグラスを洗い、濯いでから彼に渡す。彼は綺麗にそれらを拭いて棚に片付けていった。
「おねーさん、珈琲飲む?高塚さん起きたからいれるよ。」
「飲む飲むー。ねー。泊まっていっていいでしょ?ソファでいいわー。」
「妊婦なのにー?」
「だーいじょうぶ。このうち暖かいもの。」
皿を洗い終わり、手についた泡を落としてから水を止めた。文仁君が珈琲を入れてるくれる仕草を長め、リビングに戻るとソファに腰を下ろしてタバコを口に挟む。が、火はつけなかった。
「泰生、笑うのね。」
「え?」
「・・前みたい。あの子といて、昔の君を思い出した?前の君はもっと、直情的で。良く笑って。たくさん言い争いしてもけろっとしてて。何もかもが楽しいって、そんな感じだったよ。大人になっちゃった?」
「そんな僕がお好みだった?」
「うーん・・。そうね。あのままの君だったら、すぐにでも結婚してたかも。でも、言い争いばっかりでこの歳までには子供五人くらい生んで離婚してたかも。」
彼女は軽く笑うと、毛布の中に包まった。
「私は君を・・包めなかったわ。」
寂しそうに呟く声・・。
「僕も支えられなかったよ。あの頃は僕には君が大き過ぎて、僕はまだ未熟過ぎたから。」
「今は、成熟したの?」
「未完成。まだ迷ってる。」
「何に?」
「言えない。でも、わかるよ。今は分かる。判らないままモヤモヤしてて、それにもがいてないから。今は分かっていることにもがいてる。あがきたくて・・堪らない。多分、それは手に入れたとしても後悔する。」
「抽象過ぎて・・わからないわ。あの子ならわかるの?」
「さぁ。僕は彼じゃないよ。彼に聞いて。」
彼女は目だけ出して僕を凝視した。その目が僕の後ろを追い、文仁君が僕らの前に珈琲カップを置く。
「ねえ、ふみ君。泰生が起きたから珈琲入れるって何でなの?」
「え?ああ。高塚さんって、飯の後ちょっと転寝してから仕事するって良く言うから。今日、平日だし。」
「家でも仕事の虫なの?」
「僕の仕事の時間は昼食時間と残業のみだよ。あとは殆どご意見番。苦情係。やらないと一日の業務が滞って他に仕事が回せなくなっちゃうよ。でも、やりたくないことは殆どしてないからいいんだ。」
彼女の目が笑った。僕は珈琲カップを持ち立ちあがる。寝転がっている越賀君を踏まないようにして部屋から出た。彼と彼女の会話が微かに聞こえたが、音を殺すように静かにドアを閉める。僕は一つ。吐息のような溜息のようなものを吐き、くわえていたタバコに火をつけ廊下を歩いた。