12月24日。朝から雪が降り続く今日は・・。書類の文字も、会議の声も。いつもの文仁君のメールも。何もかも。中途半端に感じた。
「どうなさったんですか?室部長。」
「ん・・?」
「彼女と喧嘩でも?」
「いや・・。」
「やっぱり彼女いるんじゃないですかー。どんな子です?」
「うん・・。」
一日。生返事。気を取りなおそうとしても、タバコの量が増えるだけだった。電話が鳴り、条件反射で受話器を取る。
「はい、高塚。」
「受付です。鹿取様が一階喫茶室でお待ちです。」
「・・かとり・・・。」
ぽつり呟き、電話の相手の言葉を無視して受話器を置いた。嫌な名前だった。あまり出向く気はしなかったが、仕方なく腰をあげる。部屋で会議をしていた何人かが僕を不思議そうに見上げたが、僕はそれをも無視して部屋を出た。ゆっくりと階段を降りる。一階に付き、喫茶室方面を向くと一組の夫婦が深々と頭を下げた。足が止まる。息が詰まり体が重い。軽くネクタイを緩め、溜息のような吐息をついた。
「何かご用ですか?」
僕は何気ないふうを装い、喫茶室に入ると二人に座るように差し向けた。彼らは座らず、口をつぐんだまま立っている。僕は椅子に腰を下ろし、タバコを取り出して口にくわえ火をつけた。彼らは突如、床に正座で座り額を床につける。
「何してるんですか。お座りください。」
初老に指しかかる年齢の夫婦。黙ったまま彼らは動かない。苛々してくる。
「座れ・・。・・・座れ!!」
回りにどんな来客があるか。どんなポストの人間がいるのか。僕にはもうそんなものは見えなかった。大声で叫ぶと彼らは慌てたように椅子に腰を下ろす。どうにかして、落ち着きたい。
「何しに来られたんですか。」
「・・今日で。五年に・・。なりました。ささやかですが・・。慰霊祭を執り行おうと・・。考えました。ご出席願えますでしょうか。」
小さな声で男は言葉を声にした。
「好きにすればいいですよ。それであなた方が満足するならどうぞ。僕は行きません。」
「お願いします。」
「嫌だ。もう、忘れてくれといっているでしょう。過ぎたんですよ。」
彼らは黙ったまま。女の方がハンドバックのようなものから封筒を出し、机を伝ってそれを僕に差し出した。
「少ないですけど・・。受け取ってください。」
僕は・・。怒りが込み上げ、頭が混乱し始めた。
「もう、いいんだ。」
「良くはありません。私どもは・・。」
「失せろ。思い出したくない。」
「これだけは受け取って・・。」
再度手前に出された封筒。僕はそれを掴み彼らのほうに思いきり投げつけた。
「金なんか・・。金なんか使い切れねぇんだよ!!」
立ちあがり叫ぶ。彼らは萎縮したように身を屈めた。
「失せろよ。出て行け。」
「せめて、恨み言の一つ言ってください。私達は・・。」
「そんなもの食い物にされてたまるか。出て行け。忘れろ。」
彼らはまた、床に土下座した。一瞬。踏みつけてやろうと思った。それはなんとか食い止め、帰ろうと振り向くと足にしがみ付かれた。
「待ってください!!」
一人一足。枷のようにしがみ付く。
「離せ・・。」
「話を聞いてください。」
「・・離せ。退け。理性があるうちに手を離せ。」
彼らはおずおずと手を離し、床に正座で座りこんだ。
「ああそうだ。息子さん、終えたんでしょう?ここに手紙が来ますよ。あまり嬉しくない贈り物を二度貰いました。償いは終わったはずでしょう。僕を恨むのは筋違いだと伝えてください。貴方方も、迷惑だ。」
僕は床に落ちていた封筒を拾い上げ、暫くそれを見つめた。
「そうだ。これで東京見物でもしたらいい。出張などの都合でね。ここにはツーリストの支社があるんですよ。手配してやるから・・二度と俺の前に顔を見せないで下さいね。」
封筒を握り締め、僕は喫茶室を出て受付の傍にあるツーリストのカウンターに立った。女性に封筒を渡し、出来るだけにこやかに徹する。
「これで、あの座っている夫婦に東京見物をさせてやりたいんだけど、頼んでいいかな。」
「は・・はい。かしこまりました。」
彼女が頭を下げている間に僕は階段を上がる。部屋に戻り、机に肘をついた。まだ会議を続けていた彼らは僕を見るなり唖然と目を丸くさせている。
「何?僕、何か・・変かな。」
「あ、・・いえ。何でもないですけど・・。」
「そう。なら良かった。」
机においてあった冷めた珈琲を飲み干す。空いたカップをみつめ・・。思いきり壁に投げつけた。カップはガシュと音を立て割れ、パラパラと床に破片が散らばる。椅子に体を預け、前髪を握り締めた。泣きそうなくらいの苛立ちと憤り。二人にかけてやる言葉はいくらでもあるが、言葉を思い描いて口から出ない。言えば煩いだの、出て行けだの、失せろ・・だの。どうしてか言葉を選べない。ただ、もう・・。本当に忘れて欲しいだけだ。
「し・・室部長・・?あの、・・これ、いいですか?」
「・・ん?何?」
出された書類を手に取りつつ、投げ割ったカップを眺めた。また、新しいカップ・・買わなきゃな。書類に目を通し、渡し返す。
「あの・・。」
「いいんじゃないか。進めて・・。すまないけど・・。一人にしてくれないか。」
彼らがいつ、部屋を去ったかは定かではない。ずっと、机に肘をついてその手の上に額を乗せていた。コンコン。そう、木の扉がノックされ、顔を上げる。ちょっと不安げだが、軽く微笑んだナツキさんが僕の前に立った。
「何?」
「もう、11時過ぎてるわよ。帰らないの?ふみ君、待ってるわよ。」
「もう・・。そんな時間?何も出来なかったな・・。」
何時の間にか、割れたガラスの破片は無くなっていた。
「ねえ、あのご夫婦。」
「帰るよ。」
僕が立ちあがると、彼女は少し後ずさりをした。鞄を持ち部屋の外に出る。
「ねえ・・。泰生。」
「パーティー。行かないの?鍵閉めるけど・・。」
彼女は慌てて部屋を出て、僕は扉の鍵をかけた。
「一次会終わったから・・。もしかしてって思ってきたら、君はまだ居たのよ。何度声かけても身動き一つしないでずっと黙ってて・・。喫茶部の子から話を聞いて・・。きっと、私じゃ何も話してくれないと思うけど、気になるじゃない。だから・・。」
「自分の好奇心満たすために来たの?」
「泰生、何それ・・。ちょっと、どうして?そんな泰生、泰生じゃ・・。」
「僕が僕じゃない?じゃあ、今話しているのは誰?ただ単に、君の知らない部分を出しているだけの僕だろう?・・ごめん。怒りの的にしてしまうよ。心配してくれてありがとう。僕は帰るね。」
頭の中がぐるぐると回る。タクシーで家路につき、玄関を開けた。出迎えの彼の姿はなく、もう寝てしまっているのか・・。一直線にリビングに向かい、ソファに鞄を置こうとしたが、彼が静かに瞼を閉じていた。小さく、静かに。同じ間隔で胸が上下している。料理雑誌を見ていたのか、手から零れ落ちそうになっている本を掴み机に置いた。起こさないように静かに彼に毛布をかけ、僕は仕事部屋に引き返す。机に鞄を置き、椅子に座り・・。タバコをくわえて火を点す。吸い終わり、灰皿に吸殻を押しつけると、ドアが開く音がして振り向く。
「お帰り。帰ってきたなら起こしてくれれば良かったのに。・・何かあった?」
「いや。何も。」
「・・嘘。下手だね。」
彼は僕に近づき、僕の頭を胸に抱き入れ髪を撫でた。
「飯、食った?」
「・・いや。」
「昼も食べてないだろ?俺も待ってたからさ。食べてないんだ。ホラ、立って。」
手を引かれ、食卓に向かうと座らせられる。
「・・アジ?」
食卓の料理はアジのフルコースになっていた。刺身、フライ。から揚げ。煮付け。マリネ・・。
「好きだろ?アジ。今日はさ、楽しいことの記念日に替えようと思って。」
「僕・・。アジ、好きだっけ?」
「そうだよ。刺身の盛り買ってさ、一番先にアジが無くなるんだよね。」
「そうだっけ・・。」
「うん。」
彼は僕の前に、盃を置いた。徳利を持ってきて彼も椅子に座る。それを傾ける彼。僕は首を振ったが、彼に盃を握らされた。そこに酒が注がれるが、ほろ暖かい酒気が香る。
「さーさー。ほら。」
促されて酒を煽った。水も飲まなかったせいか、喉に熱い。彼にネクタイを解かれ、シャツのボタンを外され。手の中の盃にまた酒が注がれる。
「一番逢いたくない人が・・。今日、来たんだよ。」
「・・そっか。元気だった?」
「さあ。良く顔は見られなかった。でも、痩せていたかな。切り詰めて、お金を作って。それ、・・投げ返したよ。最後にはもっと・・酷いことをした。東京見物しろって・・。行ったかどうかは知らないけど。惨いことを・・させようとしたよ。僕は最低だね。」
「仕方ないよ。だって、彼らだって・・。」
「苦しんでるのは分かる。だけど・・。どんなに騒いでも嘆いても。過ぎてしまったことだよね。戻せないことを悔やんで悲しんでたってさ。こっちは生きてるんだ。前を向いて・・欲しいんだよ。」
酒を煽る。箸を握らされ、刺身を口にいれた。
「そう言ってやりたいけど、僕はズルイね。気付いて欲しい・・。傲慢だ。」
徳利を握り締めると彼に止められた。彼は笑う。
「ペース考えないと、悪酔いするよ?ちゃんと、他のも食べて。あ、俺も貰っちゃおうかなー。」
彼は僕が使った盃を手にし、僕はそれに酒を注いだ。くーっと酒を喉に流していく彼。プッハ。と口を拭う。
「かーらーいーー。」
僕は思わず笑った。
「あ、やっと笑った。俺がもういっぱい貰うとまた笑う?」
「いや・・。無理すること無いよ。僕に頂戴。」
「うん。」
盃を交換し、酒を飲み料理を口にする。
「高塚さんの好きな酒ってさー。みんな辛いんだよねー。」
「そうかな。呑み易いと思うけど。」
「甘い方がいいなぁ。あ、ワインとかは?」
「ワインか・・。たまにはいいかもね。10月のボジョレー忘れてたなぁ。」
「ふっふっふ!」
彼は意味深な笑いをしつつ、立ち上がってキッチンに向かい、一本のボトルとワイングラスを手に戻ってきた。
「おお。ワイン。」
「銘柄に拘りは?」
「・・あるっていえば・・。困るだろう?」
「言って見てよ。多分、これだと思うんだけどねー。」
彼は僕にボトルを見せないようにしてコルクを開け、グラスにちょっと注いだ。
「早く早く。」
「テイスティングするの?」
「当たり前じゃん?ほら。」
しぶしぶグラスを持ち、ワインを揺らして香りを嗅ぐ。一口口に含み・・。
「どう?」
「・・ロゼ?え?良く買えたね。うん。これ・・。好きなやつだ。」
「だろ?あたりー。」
「何で分かったんだ?」
「えへへー。タネアカシをすればね。あの、スーツの店に行って聞いたんだ。そしたら、これがいいんじゃないかって勧められたの。たっかいねーこれ。6万もするんだよ?」
「はは・・。また値段?」
「あ・・。」
彼はそそくさとグラスにワインを注ぐ。熱燗とワイン。美味い・・料理。なんだか気持ちが和らぐ。
「ああ・・そうだ。」
「何?」
「僕が・・。アジが好きな理由。思い出した。父さんと、兄貴がさ。釣りが好きだったんだ。何を釣ってくるって言って、家を出て、釣ってくるのはいつもアジで。でも、・・・こーんなに大きなやつを釣り損ねた。とか、どっちが多く釣った、とか。土産話が派手でね。・・・好きな、時間だったな。」
酔いもあってか、身振りをくわえて話す。
「何でアジなの?」
「さあ。僕は釣りは良く分からないんだけど・・。いつもアジだったよ。母さん、文句一つ言わないでさばいてさ。刺身包丁とかも揃えてて・・。妹と良く手伝ったよ。」
「へーぇー。高塚さんが料理できるのはそのお陰なんだ。」
「うん・・。そうだね。楽しいことを思い出すのは・・悪くないよね。」
「高塚さんが忘れれば、無くなっちゃうよ。全部消えちゃうよ。いい事も悪い事も。俺は覚えて無いからさ。悲しくも無いし。思い出すことも無いし。じいちゃんもばあちゃんも、あんまり話してくれなかったし。でも、今愛してる人が隣にいてご飯食べる幸せがあるから満足。・・愛してる?」
「僕は・・。君にメロメロだよ。」
「うっそだー。酔っ払い。」
「あははは。酔わせたのは誰?」
「俺。なあ・・。あのさ・・。」
旧に彼はもじもじと声のトーンを下げた。
「何?」
「高塚さんの金で・・買ったんじゃないからな。その・・。嫌なら首に・・。あ、首も嫌か。」
「なんだよ・・。」
「これっ。受け取ってくれ!」
彼は着物の袖から何かを握ったまま僕の前に突き出した。彼の手の下に手を開くと、その手がゆっくりと開かれ・・。僕の手の中に、小さな箱が置かれた。見覚えのある・・箱。開けてみるとやっぱり、そうだった。二つのリングがその中に納められている。
「どうしたの・・これ。」
「買った。」
「買ったって・・。金は?」
「車、売った。」
「何で?」
「あれは俺がバイトして買ったやつだし・・。どうしても・・。欲しかったんだ。嫌・・だよな。」
俯いて唇を噛み締める文仁君。僕は暫く黙って唸った。
「おねーさんが・・。高塚さんモテルって言ったから・・。繋ぎとめたくて・・。正式になんて無理だし、ほんと・・。俺だけが惚れてて・・。なんつーか・・。」
「馬鹿だな・・。」
「だって。」
「物なんて要らないのに。君とドライブするほうが楽しいよ。」
「レンタルすれば・・いいじゃん。」
暫く沈黙が続いた。僕はじっとリングを見つめて、彼の前に差し出す。
「やっぱ・・・。要らない?」
「左だっけ?」
「え?・・そ・・そう。左。」
「はい。」
彼の前に左手を出した。彼は慌ててリングを手に取り、僕の指にはめる。驚くほどサイズがぴったりなのには感心した。
「計った?」
「計った。寝てる間に。」
その用意周到さにウケル。笑いがこみ上げてきて肩まで震わせて笑うと彼は照れたのか怒ったのか。僕の目の前に残るリングを突き出す。
「ああ。誓うよ。神とかじゃなくて・・君に。」
「何を誓ってくれるんだよ。永遠の愛とか?」
何を言ったらいいのやら・・。途方にくれながらリングを手にしていると、彼はそれに指を通した。
「あ・・。」
「言葉はね。ちゃんと用意しておくもんだよ。俺は死んでも高塚さんを放さない!!」
驚くほど強く抱きしめられた。僕は・・。死んだらどうなんだろう。いや、たぶん・・。飽きるまで。君が僕に飽きるまで。僕は・・。
「君に・・夢中でいたいよ・・・。ずっと・・。」
彼にその言葉が届いたかどうかは・・。知らない。