出勤と同時に電話が鳴り、鞄を置く暇も無く受話器を取った。
「はい、高塚。」
「高塚ーーー!!!」
耳がキーンと鳴るほどの大声。思わず受話器を耳から離した。この声は・・壬生氏だ。
「貴様!!今日が何の日か分かっているのかっ!!」
「き・・今日ですか?今日は28日で仕事納めの日ですよ。」
「大馬鹿者!!!」
がちゃん!!激しく電話が切られ、僕は耳を押さえながら受話器を置く。一体・・なんだって言うんだ。椅子に座りながら積み上がる書類の一つを手にする。桜坂君が珈琲を机に置きつつ、一瞬動きを止めた。コーヒーカップはこの前割ってしまったので、急遽来客用を使っている。
「どうしたの?」
「室部長・・。婚約指輪ですか?」
「え?・・あ、ああ。これ?貰ったんだ。邪魔じゃなきゃつけてろってさ。」
彼女は薄く涙ぐみながらおめでとうございます。と囁いて慌てて部屋を出て行く。
「おーい・・。今日のスケジュール・・は・・・?」
呼んでみても戻ってくる気配は無く・・。仕方なく、珈琲を飲みながら書類を読みあさる。が。秘書課全員僕の部屋に集まり、驚いている暇も無く左手を掴まれ見世物にされた。悲痛、悲観の声が響き悲鳴さえこだまする。甲高い声が耳障りだ。
「ごめん、煩いんだけど・・。桜坂君、今日のスケジュールは?」
彼女らは叫びまくり、団体で部屋を出て行った。
「だから、スケジュール・・。予定を教えていけ・・。」
朝っぱらからキャーキャーと叫ばれつつ、今日は自分の仕事を終わらせることが出来るかな。と思った矢先。壬生氏が突如現れ、僕の腕を掴むとエレベーターに乗り、路上駐車させてあった高級車に押しこまれた。
「高塚さーん。」
ホッとしたような、泣いていたような・・文仁君の声。見れば彼も車に乗っている。車は急激に走り出した。
「あの・・。どこへ連れて行かれるんでしょうかね。」
ぶすっとした壬生氏に問うと、彼は無言のまま鼻息を荒くする。隣に座った文仁君は僕にしがみ付き、僕は首を振った。今、彼に逆らえる人はいない。僕の腕を掴んで離そうとしない文仁君の手を軽く握ってやった。
「高塚。落ち着いたものだったぞ。若造もいてな。申し訳無かったと嘆いていた。」
「・・行かれたんですか。」
「ああ。俺はあいつと友だったからな。お前の代わりに出てやった。伝言だ。若造は手紙を送ったことは無いとさ。これからは前を向かせてもらうとも言っていたが、なんだ、手紙ってヤツは。」
「あ・・。いえ。」
壬生氏はまた口を閉じる。何の話?と文仁君は呟くが、僕は軽く笑って誤魔化した。
「しかし先生。拉致とは如何な物ですか。文仁君まで・・。」
「俺、買い物に行こうとしててさ・・。突然・・。」
「フン。年内と言ったはずだ。圭二三代目、襲名披露。」
・・・・・。忘れてた。そんな伝言を貰っていた・・事すらすっかり忘れてた。
「何それ。圭二って何?」
「お前さん、自分の立場を理解していないな。高塚、お前の責任か?」
「は・・ハア。まあ・・。理解させようにも、時間が・・。」
「時間が無いとは言わせん。」
僕は言葉を飲んだ。
「圭二とは、水墨画家、渡瀬川住夫の流派名。渡瀬川が二代目。お前さんが三代目を継ぐ。」
「・・え・・えーー??何それ、聞いてないよー。」
「あのじいさんが言い残したそうだ。なあ。高塚。」
「え・・ええ・・まあ・・。」
言葉の弾みで一度言ったことはあるが、文仁君の耳に届いていたかどうかは不明。
「ヤダよそんなの!!なあ、高塚さん、なんとかなんないのかよっ。」
体を大きく揺すられるが・・。もう、僕の力ではなんともならない。権力の力は・・絶大・・。
「お前さん、名は。」
「あんたが先に名乗れよ。」
全身の血の気が引いた音が聞こえるようだった・・。
「壬生駿一郎。日本の美術界を取り仕切る団体の総責任を担っている。」
「俺は・・菊池文仁。」
両者1歩も譲らず睨み合う。
「そんな団体の責任者か何かはしらねーけどよ。俺はそんなのに入るつもりは無いっ。」
「じいさんの遺言を無視するつもりか?」
「俺だって、じいちゃんに認められてねーしそんな話聞いたこと無い!!」
「ただ、絵ー描きゃいいんだよ。お前の絵をな。好きな時、好きなだけ。それを世の中に送り出すのが俺が仕切る団体。それには襲名させて全員に認めさせなきゃならねーんだ。」
「い・や・だ!!」
「貴様俺に逆らうってのか!!」
「ああ!!そーだよっ。あんたなんかに縛られてたまるかっ!!」
今日は・・。叫ばれることが多い日だ。狭い車内で怒鳴り声が響く。
「高塚、貴様何とか言え!」
「・・すみません。僕も・・嫌な方でして・・。強制は出来ないかとおも・・。」
「貴様ーーー!!」
突如首を締められ体を揺さぶられた。思いきり座席に突き飛ばされ、首から手が離れる。軽く咽ると文仁君は僕を庇うように壬生氏を睨む。
「二人とも・・落ち着いて。僕の説明が足りなかったから・・。今、説明するとね・・。」
車の動きが止まり、運転手が車を降りてドアを開ける。壬生氏が車を降りると、僕の腕を掴み引きずり出し、文仁君も釣られるように車を降りた。着いた先は・・。日本美術関連本部。広い敷地に敷き詰められる敷石は水を表し、その先に見える立派な日本家屋。腕を掴まれたままその屋敷内に入り、その広さや空気感に圧倒されながら板の間に上がる。造形美もさる事ながら、襖、天井に描かれた絵はまさに国宝。溜息が出るよりも存在に汗が滲む。そんな中に入るだけで押しつぶされそうになる空間の中、彼は僕の腕を掴んだままずいずいと奥に入り、ある襖を思いきり開けた。パーン!!扉が激しい音を立てて開く。その部屋は40畳はあろうかと思われる畳敷きで、その中には日本有数の権力者が顔を揃えていた。それらが一斉に僕らを見やる。僕らは壬生氏に掴まれたまま、部屋から中庭が見える前に捨てられた。しぶしぶ体制を整え、立ち尽くす文仁君を座らせる。壬生氏はずいずいと上座に赴き、どしりと腰を落とした。
「遅くなって申し訳ない。スーツ姿の奴は皆が知っての通り、高塚泰生。その隣が渡瀬川住夫氏が命じた圭二三代目。菊池文仁。」
ほおー。そんな低くくぐもった声が響く。両手を畳につけたまま頭を下げていたが、顔を上げる気にはなれなかった。文仁君はじっと前を見据えている。度胸が据わっているというか、状況判断が出来ていないというか・・。
「高塚。お前も顔を上げろ。」
「・・嫌です。僕は必要ないでしょう・・。」
「馬鹿を言うな。お前も世に出す。」
「・・なんで貴方はそうせっかちなんですか。僕にも彼にも、心構えというか準備が・・。」
「煩い!!怠った貴様が悪い。顔を上げろ。高塚。各々、圭二三代目は襲名させて宜しいな。」
ざわめきが絶えない。絵を見てみないことにはな。そんな声がちらほら上がる。壬生氏は一つ咳払いをして、二人の男が動いた。そして文仁君を立ちあがらせると違う部屋に連れて行く。
「高塚、顔を上げろ。」
「嫌です。」
「上げろ。」
「嫌です。」
「上げろ!!」
「嫌だ!!僕はこの場にいる人間じゃない。」
壬生氏自らやってきて僕の髪を掴み引き上げた。その手を思いきり撥ね退ける。」
「いい加減にしてください。」
「貴様・・。俺の力を甘く見ているのか。」
「いいえ。貴方の力は嫌なほど知ってますよ。だけど、屈しません。社会的に抹殺されようと、嫌なものは嫌です。僕は貴方の権力の使いっ走りではありません。」
「フン。各々。この生意気な男が高塚泰生。この業界を一振させ震撼させる男だ。あの、高塚春樹の息子。舜帝の孫。生意気は誰に似たかな。」
しゅんてい。その名前が出て、ざわめきはいっそう増した。僕の知らない名前だ。
「誰ですか、その舜帝って・・。」
「お前のじいさんの名だよ。俺の師匠だ。この、影なる親玉の存在だったな。」
「・・知りません。」
「そりゃそうだ。春樹はお前のお袋さんと結婚するに勘当された。当主となるべき血筋を汚すか、とな。お前の腕は血筋の為せる技でもある。大人しく従え。悪いようにはせん。」
「・・今が一番悪いようなんですけどね。これ以上悪い事が起きる予定ですか?」
壬生氏はかっかっかと高笑いをした。そして手を叩く。すると膳を盛った女性達がやってきて一人一人の前にそれを置いていく。
「彼はどこですか。連れて帰ります。」
「奥だ。描き終えてるんなら好きにしろ。」
彼は顎で示唆し、僕はその方向に歩く。いくつか襖を開け、閉めて歩くと奥の部屋に彼は座っていた。彼の右に硯と筆が置かれ、前に紙が伸びている。彼は正座をしていて、その膝の上に拳が置かれていたが、一つ息を吐くと筆を持ち毛に墨を巻く。その筆が音もなく紙に触れ、線を描いていった。それをこっそりと眺めると思わず吹き出す。紙には大きく、バーカ。と書かれていた。
「あ。高塚さん。だいじょうぶだった?」
「ん・・ああ。あーあー。上等な紙に落書き・・・。硯も墨も筆さえも絶対に触れないようなものなのに。」
「いいじゃん。嫌な絵は描けないって。」
「だよね。帰ろうか。」
「うん。あのじいさん、指輪見てさ。ニヤニヤしながらセクハラ発言だぜ?参ったよ。」
「ふ・・。元は、優しい人だよ。彼も嫌々権力者になった人だから、分かると思うんだけど。仕方ないね、これも仕事だ。」
帰ろうと開けた襖は中庭に続くものだった。その造詣に見とれる。しなやかな松に巻かれた雪囲い。一面雪に覆われていながらも、たおやかに忍ぶ植物。広い空間。重い空を見上げるとちらちらと雪が舞ってきた。僕はそこに座りこみ、あぐらをかく。文仁君も黙ったまま僕の右隣に腰を下ろすと、庭に見とれた。
「凄いとこだよね・・。ここ・・。」
「ああ・・。僕も始めて来たよ。こんな綺麗な場所だとは思わなかった。」
「気に入ったか。ここは舜帝の住まいだったところをそのまま使ってる。」
そんな声に顔を上げると、壬生氏が煙草を吸いながら僕の左に座った。
「舜帝って・・。あの舜帝?」
「なんだ小僧。知ってるのか。」
「日本の・・神様って呼ばれてる人だろ?顔は見たことないけどさ。じいちゃん、レプリカ一枚持ってた。」
ふん。そう壬生氏はせせら笑う。
「なあ高塚。それがお前の直系のじいさんだ。」
「だからどうだって言うんですか。僕は僕です。」
「はっ。春樹と同じ事を言いやがるな。お前ら、そっくりだ。だがよ。この家は、春樹に継がせたかったらしいぜ。勘当した手前、千春。春樹の兄がいるが、そっちには宛がわずに寄付した。んで、俺が使わせて貰ってるって話だ。お前、千春も知らんだろ。」
「・・ええ。」
「仲が悪い兄弟でな。お前と同い年の息子がいる。五年前、そいつが舜帝を継いだ。」
「だから?」
「俺が言うのもなんだが、そいつは舜帝の力はネエんだな。金の力でなったって事実か噂かしらねーよ。」
僕もタバコを出してくわえた。火をつけ、紫煙を吐き出す。
「なあ、三代目。お前さんも大人しく、じいさんの意思を継げよ。消えちまうぜ。じいさんの絵がよ・・。」
雪が音を消していく。文仁君はすっくと立ちあがり、部屋に戻ると書き捨てた紙を放り、新たな紙を畳に敷くと筆を持った。
「素直じゃねーか。お前はどうだ。高塚泰生。」
「言われれば言われるほど。僕は拒みますよ。知らないものの意思は継げない。」
「ふ・・。お前らしい・・か。俺は諦めねーぞ。舜帝はお前のものだ。」
「意思のない後継者でいいですか?」
「大半そんなもんだ。消してしまおうと意見はあがるが、根強い反対派もいてな。金と権力が入り乱れる汚ネエ世界だ。どこも、かしこも同じだぜ。」
「貴方も、染まらないよう心がけてくださいよ。」
「はん。お前に言われてそうですねってか?俺は染らねーかわりに、変えられもしねーよ。ただの場繋ぎさ。裏で手を引いてる奴らの表の顔。演じなきゃならねーのも分かってくれよ。」
「嫌だと・・言えば?」
「捻じ伏せる。」
「それではその、裏という人達と変わらないじゃないですか。お立場は欲望を生みますか?」
「まあ・・な。」
沈黙があり、僕らはぼんやりと空を見上げた。煙草は燃え尽き、灰が雪の上に落ちる。雪で火を消し、吸殻をポケットに入れた。
「父はそんなこと、一言も言っていませんでしたよ。」
「そりゃそうだ。香苗ちゃんを悲しませたくなかっただろうよ。彼女は施設で育つ天涯孤独。だからってわけでもなかっただろうが、舜帝に猛反対され、勘当という結末を迎えた。そんなこと、息子に言ってみろ。何で?なんて聞かれたらどう答える?」
僕は返す言葉も見当たらず、黙った。
「舜帝は、調べたりして知ってたんだな。香苗ちゃんの血のことをさ。色盲ってのは、女には出にくい。だが必ずその血は受け継がれていく遺伝病だ。継がせたい息子の血筋に出りゃ、・・なあ・・。」
「臆病者。」
「ん?」
「僕もそうですが、・・だから、なんなんでしょう。自分の意思は自分のもの。貴方のように弟子に付くものに継がせればいい。血筋が何を言うんですか?」
「日本ってのは、狭いからな。まあ、昔からの風習だろ。俺もそうだがな。俺のガキ達は誰一人この道に進もうとしなかった。弟子は取ったが、お前一人だけだ。」
「恩着せがましく言わないで下さい。」
「ふ。」
彼は苦笑いをしつつ、立ちあがって文仁君の絵を眺めた。
「良い絵だな。じいさんより力強い。だが、まだ荒いか。」
文仁君は何も言い返さず、じっと絵に向かっている。その真剣な表情は・・見たことがない。睨みつけるような視線。ぎらぎらと血走り、何かを呑みこもうとしている。だが、その手は繊細で紙に滑らせる筆はしなやかな動きだ
「先生の意思を・・感じますね。見えないものが降りてくるみたいだ。」
「ん?」
「・・居るならば、感じ取りたいですね。彼は・・見ているんでしょうけど・・。」
そっと中庭を見やり、僕はまた空を見上げた。
 壬生氏に送られ、僕らはソファに凭れていた。どっと疲れが出て何もする気にならず、沈黙が続く。タバコに手を伸ばし火をつけ、ハア・・と声を出しながら煙を吐いた。
「なあ、高塚さん。俺・・。本当に三代目なんて名乗っていいわけ?」
「いいと思うよ。もう、お披露目したし。だからって、嫌なことを強制してるわけじゃなさそうだし・・・。」
「・・うん・・・。絵を描くのは嫌じゃないよ。あの庭を見て、描きたいって思ったから描いたんだから。」
「うん。それでいいと・・思う。」
タバコの灰を灰皿に叩きながら、僕は前のめりに膝に肘をついた。文仁君は僕の背中に背中を押し当てる。
「高塚さんが・・。あの、舜帝の・・・孫・・。」
「そんなに凄い人なの?舜帝って。」
「知らないの?絵を描いてるっつーか、美術の偉人だよ。高塚さん雑誌に関係してるんじゃないのか?」
「僕の知識は浅いんだよ。今活躍してる人がメインだし。昔の人って興味なかったからさ・・。」
机においてある料理雑誌を捲りつつ、短くなった煙草を灰皿に押し当てて火を消した。
「今日、何食べようか。」
「俺、作る気なーい。」
「いいよ。僕が作るよ。何食べたい?」
「うーん・・。」
彼は僕の背を転がり、一緒に雑誌を見た。
「冷蔵庫、何ある?」
「うーん・・。あ。これ食べたい。」
彼が指差したのは鮭のクリームパスタだ。
「材料、ある?」
「パスタ・・ないな。うどんならある。シャケはあるよ。明日の朝ご飯にしようと思ってたから。」
「うどん・・。焼きうどんにしよう。明日、パスタ買いに行こう。年明けの9日まで休みだから、雑誌買ってどこか行こうよ。」
「うん。」
彼が転がり落ちないようにしながら立ちあがると、僕はキッチンに向かった。うどんを探して同鍋で茹でて、水を切りフライパンを熱した中に入れる。適当にソースで炒めたが、具がない。僕一人ならこんなようなもので済ませたが・・。出汁も入れるべきだったかな。
「文仁君。うどんは出来たけど、具。ないよ。」
「いいよー。」
皿に盛りわけ、テーブルに置いた。缶ビールを一本あけ、喉に流し込みながら席につく。
「ネクタイ取れば?スーツも・・。」
「・・あ。」
「何?」
「鞄。会社だ。」
「いいよ。明日取りに行けば・・。」
文仁君のほうを向かされ、ネクタイを外された。ふと・・目があい、キスを交わす。
「今日は本当に・・疲れたねぇ・・。」
「ほんとー。食べて、寝よー。」
「・・うん。」
ビールを一気に喉に流し込んで、素焼いただけうどんを食べた。久しぶりに食べたが・・まずい。
「不味い・・。忙しがって、何でこんなもの食べてたんだろ・・。」
「茹でて焼くだけだって立派立派。料理してたのは休み位だろ?」
「うん。反動で、食べきれないような数作ってさ。残れば日保ちしないようなやつから順番に平日のオカズになって・・。」
「経済的。」
「まあ・・ね。」
意外と軽く腹に収まり、なんとなくもう少し何か食べたいような気がしたが皿を片付けて洗った。
「風呂、沸かすね。」
「ん・・。シャワーでいいよ。」
「ゆっくり浸かったほうが楽だよぉ。」
彼は大あくびをしながら浴室に向かって行った。