Heaven
「ねー、社長ぉ。まゆら、可愛いー??」
ピンクのフリフリドレスの裾を掴み、売れっ子アイドルは口を尖らせた。通称社長の綺羅はサングラス越しに彼女を見つめ、満面なご様子。
「うーん。まゆらチャンは何してもかわいーいー。」
そう、両肘を脇につけ左右に振っていた。
音楽レーベル(といっても、事務所のようなものだが)パルナソスを立ち上げて、期待のアイドルを定着させた綺羅。彼はギターを操り音楽を作り出す。朝、昼。晩。何時でもサングラスをかけバンダナを被り、長々と伸び放題の髪を括る。182cmという大柄な男が、155cmにも満たない少女と一緒に腰を振る光景が普通になってきて、俺は少し安堵していた。
落ち着く。そんな気持ちを持つまで10年かかった。右目の視力と右腕と左足の自由を失い、・・。最愛の者を亡くした。それからもう、10年。俺は今ここで、詩を書いている。ぼちぼちと来る依頼を続けながらまた、小さく溜息をつく。まだ断ち切れてない気持ちを苛立ちに変えながら煙草をふかして何十敗目の珈琲を口にした。
何気なく書き綴る言葉。その小さな紙切れを左手一本で握り締め目の前にそびえる壁に投げつけた。紙くずはすぐに跳ね返り後ろにあるベッドの上に転がる。時々、苛立ちを押さえることが出来ない。何があるわけでもない。理由なんて判りきってる事だ。あいつを・・忘れられないこと。それが俺の苛立ち。愛してた。告げられなかった。よく笑う・・。
「聖さん。珈琲豆が切れたんで買い出しに行ってきます。」
不意に部屋を仕切るカーテンが開き、藤堂が顔を出した。彼はこの事務所の全てのスケジュールを管理する男で、家事もこなす。何時も黒いスーツで身を包んでいる。細い面立ち、少し切れ長の瞳。ストレートパーマをあてたようなサラサラの髪。広告モデルより遥かに目を引く。
「聖さん?どうかなさいましたか?」
「・・。いや。・・何だっけ?」
「あ、珈琲豆を買いに外に出ますが、何かご入用なものはありますか?」
「いや・・。ああ、俺が出る。」
「え?」
「俺が行く。ちょうど・・気晴らしに出たかったんだ。支度してくれ。」
「え・・。で、でも。雨降ってますし。私が・・。」
「いいから。整えてくれ。」
藤堂は不安そうに小さく口をあけ、何かいいたげだったがわかりましたと頭を下げた。俺は車椅子の車をゆっくりとまわし、カーテンに仕切られた一角から出る。右腕が不自由_といっても指先がうまく動かない程度で車を回すことが出来るが、問題は足だ。長く歩いていることが出来ない。それでも日に何分かは歩かないと妙にぎこちない気分に陥った。ここで車椅子でいるのは右眼の視力が無いため、空間感覚が無い。それを補うためのものだ。車椅子がぶつかっても体に損傷は無い。
藤堂はすぐに、俺の上着と白い杖を持ってきた。俺が立ち上がるのを補助し、杖を握らせ上着を着せこむ。
「あの、本当に大丈夫ですか?珈琲豆は、今すぐ必要なものじゃないですから、雨が止んだ後に・・。」
「しつこい。」
「申し訳ありません・・。支払いはカードでお願いします。上着の内ポケットに入れておきました。」
「・・ああ。わかってる。」
「それから・・。」
「煩い!!子供の使いじゃないんだからいちいち指図するな!!!」
苛立ち紛れに怒鳴ると、今までざわついていたフロアが静まり返った。藤堂はふかぶかと頭を下げる。
「申し訳ありませんでした。口が過ぎましたことを・・。」
「もういい。行ってくる。」
「はい。お気をつけて。」
左手で杖を持ち、ゆっくりと足を運ぶ。小規模事務所だが、ここには常時40人ほどの芸能人と呼ばれるものがいて、小さな打ち合わせなどを行っていた。その全員の視線を感じながら事務所のドアを開ける。事務所は6階建てのビルの2階に位置し、一階はCDショップになっていた。一階に降りるためには外階段を降りるしかないのだが、傘と杖両方を持つことが出来ない。空を見上げれば雨は小雨で、止む事はなさそうだがずぶ濡れにはなりそうも無かった。目的地の珈琲ショップまでは俺の足で片道10分ほどの場所。傘を持つのが面倒という事もあり、俺はそのまま階段を降りた。この通りは人は疎らだが、
ここから表通りまで出て歩道橋を渡ったすぐ角に店はある。ゆっくりとしたペースで歩く人物は邪魔にされるので、出来るだけ道の左隅を歩いた。杖よりも手摺に体を預けながら歩道橋をのぼり、荒くなる息を整えて反対側に向かう。雨という事もあり足元は滑り、手摺にもうまく体を預けられなかったが、無事に店に到着。流行の喫茶店でもあり、ここは何時でも混雑していた。俺は空いていたカウンターの一席に腰を下ろし、机に肘をつく。嫌になるほど鈍った体が腹立たしく。苛立ちを高まらせるがどうしようもなく溜息を吐き頭を振った。
「いらっしゃい、聖さん。何か飲んで休んでってくださいね。何にします?」
「別に・・いらない。いつもの豆を買いに来ただけだから。」
「そんなこと言わないで。新メニュー出来たんですよ。一服していって。」
にこやかに笑うこの店の店長、如月さん。赤色を帯びた茶髪を後頭部でくるりと丸め上げ、うなじに残る後れ毛が色をそそる。9月の秋雨の天気とは裏腹な明るい笑顔の女性だ。赤いエプロンから伸びるような白く長い腕で灰皿を運んできた。
「はい。灰皿。ねぇ、聖さん。豆なら配達しますよ?お散歩だけにしておいたら?」
「それじゃあ、来た意味が無いじゃないか。」
「でも・・。」
彼女は振りかえり、奥の棚から俺の好む銘柄の煙草を一箱だし、フィルムを開けた。一本の煙草を引きぬくとそれを俺に差し出す。俺はそれを受け取り、口にくわえると彼女の差し出すライターの火を煙草につけた。ふっと息を吐くと紫煙が上る。
「いいじゃない。一息つきたかったんでしょう?今、珈琲出すわ。お昼は食べた?」
「・・・いや。まだ。」
「じゃ、サンドイッチ作るわね。」
彼女は飛びきりの笑顔でいい、机にハンカチを置いて店の中に入っていった。気がつかなかったが、髪から雨の雫が落ちている。遠慮なくハンカチで前髪に落ちてくる水を拭った。
「はーい。珈琲とサンドイッチ!!お待たせ。」
しばらくすると彼女はそう言いながらカウンターの上にそれらを置いた。そして、机に置き去りにしておいたハンカチを掴むとカウンター越しに俺の体を拭く。
「・・・ん・・。」
「あんまり、雨の日のお散歩はいいものじゃないわね。風邪ひくわ。社長が泣くわよ。」
「・・。ああ・・。まあ・・。」
「藤堂君も困ってたし。ふふ・・。」
「何?」
「ううん。貴方って可愛い人ね。」
彼女が肩を揺らして笑い、俺は小さく首を振った。30を過ぎた男に可愛いとは誉め言葉じゃない。
「ゆっくりしていって。貴方が食べ終わる頃、豆を用意しておくわ。」
「ああ・・。」
「ね、本当に急ぎの仕事は無いのよね?」
「ああ、今は無いよ。」
「そう・・。」
彼女が店の中に入るのを見届けつつ、俺は珈琲に手を伸ばした。食欲は殆ど無いが、せっかく作ってもらったものを無駄にする気になれず、口に運んだ。本当に、ちょうど俺が食べ終わる頃彼女は豆を包んできてくれ、、食後の一服を強要しつつ支払いを済ませる。
「ねぇ、雨、強くなってきてるの。送ろうか?」
彼女は小首を傾げた。
「・・いや。いいよ。」
「ねぇ・・。でも。」
「近いんだし。また来る。ありがとう。」
俺はゆっくりとカウンターの椅子から降りた。杖と豆を持ち出口に向かう。如月さんにドアを開けてもらい、俺は小さく頭を下げた。
「ねえ、やっぱり・・。」
不安げな表情で俺を見上げ、俺の袖を掴む彼女。その彼女の額にキスをすると、彼女は驚いたように手を離した。
「じゃあ。また。」
「んもう!聖さんの馬鹿。・・・でも、本当に気をつけてよね。」
「ああ。」
ゆっくりとまた、人ごみに紛れた。彼女の言うとおり、雨脚は強まってきている。すぐに髪が濡れ、雫が落ちた。歩道橋を昇り、今度は降りる。もう少しで降り切る・・その気の緩みが、杖の力を欠いて滑った。崩れ落ちる!強く身を屈め、目をキツク閉じた。・・が、何者にかに両腕を掴まれ、この体が浮き上がる。階段ではない地面に足がつく感じがして目を開けると、目の前に・・青い瞳がうつった・・・。
「大丈夫?何所か、痛めなかったか?」
短めの金色の髪。小さな・・顔。
「ねぇ、聞いてる?もしかして・・。聞こえない人?」
「・・い、いや・・。あ・・・。ありがとう・・。助かった・・。」
「そう?よかった。はい、杖と荷物。傘は?」
「・・ない・・。」
「何で?東京の人は傘もたねえの?」
「ち、近く・・だったから。」
「ふーん・・。じゃあ、気を付けなよ。あ、ああ。あのさ。ハームレコードって何処?」
ころころと変わる表情。激しいほどの身振り手振り。深く・・青い瞳・・。
「・・ねぇ?知らない?ハームレコード。」
「ん・・。あ、ああ。この通りの・・。ここ、行けばわかる。」
「わかった。サンキュー。」
彼はそう言って走り去った。
何分か。彼の行った方向をじっと見つめていた自分に気がつき、帰路につく。事務所のドアを開けると驚愕の表情で駆け寄る綺羅と藤堂。
「ひーじりぃ。びしょ濡れじゃん。珈琲買いに何処まで行ってきたんだ?」
「そうですよ・・。ショップに連絡いれたら、もう帰ったって・・。どれだけ心配したか・・。でも、ご無事で・・。」
「うん・・。う・・ん。・・ん・・。」
「ひぃーじり?」
「何でも・・無い。」
俺の顔を覗き見る綺羅の体に崩れるように落ちた。力が・・抜けた。咄嗟に抱かかえられ、抱上げられると即行、俺の部屋の一角に連れられ、問答無用に服をむしられて隣にある風呂に入れられた。