Heaven 


 額に冷たい感触が落ち、俺はぼんやりとした視界を広げた。昨日の雨のせいで案の定、熱を出したようだ。暑いような寒いような感覚に目を閉じると、ふう・・と溜息が聞こえる。その声の主は、俺の額に置かれたタオルを手に取ると水を張った桶のようなものの中にそれをつけこんでもう一度溜息をついた。
「まったく・・。おまえは、人の話を聞かない奴だよ。あれほど藤堂君が止めたのに、怒鳴りつけてまで出ていって。」
「・・綺羅・・?」
人物特定に時間がかかったせいか、彼は穏やかな顔で俺を見下ろす。
「んーー?だるいか?」
「・・ああ。少し・・な。」
「まったく・・。」
どれほど心配してるか。そう、ブツブツと呟く綺羅は、固く絞ったタオルを俺の額に乗せた。それはとても冷たかったが、なんとなく心地よいもので・・。
「今日は外に出るなよ。ん、まぁ。出られないと思うけどね。」
「・・。」
「九度八分。酷くうなされてたんだぞ。夢、見たかい?」
「・・夢?」
「ああ、覚えてなきゃいいんだ。寝られるんなら、よく寝とけよ。僕はスタジオに戻るから。イイコでね。」
そう言うと、彼は俺の髪を撫でて名残惜しそうにカーテンをあけていった。
「・・夢・・?」
言われて、ふと・・思い出す。あの青い瞳の少年。澄んだ空より青い色の・・。溜息がこぼれる。愛した人も同じ色の瞳だった。彼は色が見えなかった。その彼に、その瞳の色を教えることが出来ないまま。青は冷たい印象と・・。清潔さ。海の深さの色。でも、どんな色より綺麗に見えた。触れてみたかった。髪に。肌に・・。その、唇に。心底愛してた。そんな想いはもう届かない。触れない。その温もりを感じたい。思えば思うほど辛くなる。胸が締付けられる。どうして・・。なぜ傍にいない。それだけで気が狂いそうになる。いらつく。苦しい。切ない。傍にいないなら。俺がその傍に行く。思うたび苦しかった。思い出さずにはいられない。愛してた。愛してた・・。いや、今でも・・。深く愛してる。昨日の青い瞳の少年を脳裏に浮かべ、重なり合わせた。
「ちくしょう!!!何で・・なんで何故だ!!!・・なんで・・。」
ベッドに寝転んだ姿勢のまま叫び、額のタオルを投げ悔しさを押し殺す。この、腕も足も無くしてしまえばよかった。それで・・あいつが生きることが出来れば・・。そんなものであいつの命が助かったならくれてやる。傍にいてくれさえすればよかった。それだけでよかった。どんなに泣こうが叫ぼうが、もう・・。10年という時が経っている。俺の声を聞き、慌てて飛び込んできた藤堂は冷静にタオルを拾い上げると、手で俺の目尻を拭った。
「また、仁也さんのことを考えていたのですか?忘れろとはいいませんが・・。」
「煩い。お前に何がわかる。」
「・・ええ。何も・・。」
少し首を振る藤堂は綺羅と同じようにタオルを絞ると、俺の額にそれをあてがった。俺はその手を掴み強く引く。彼の顔が近づき、その唇を強く吸った。慌てて飛びのく彼。
「ひ、聖さん・・。今は駄目です。余計熱が・・。」
「じゃあ。煙草か珈琲かモルヒネをくれ。」
「・・申し訳ありませんが・・。」
彼はゆっくりと首を振った。
「しゃあ出て行け。何も出来ないなら傍に来るな!!」
「聖さん・・。」
「出て行け。出て・・出て行け!!傍に来るな。誰も近寄るな。・・でて・・け・・。」
言葉が嗚咽に変わる。押し殺そうとしても止められない。あいつが俺の中にいる限り、これは止まらない。藤堂はゆっくりと俺に近づき、ベッドに腰を下ろすと俺の頭を胸に抱き入れた。髪を、肩を・・手を。ゆっくりと撫でる。頬に唇をあて、髪にキスをする。どうして俺はこんなに弱くなった。人の温もりを欲しがるようになった。・・人肌が恋しい。誰でもいい。気を紛らわすものなら誰でもよかった。藤堂のネクタイを解き、引き裂くようにしてYシャツをむしる。その首に歯をあてて舌で舐める。
「ん・・・。」
彼の押さえる声を耳元で聞き股間が膨れる感覚を覚え・・。何時も彼を抱くときには無理やり抱いた。声が外に漏れないよう噛み殺す吐息を耳にしながら熱く燃えた。肌という肌に至るまで歯型をつけ、身悶える体を押さえつけた。罪悪感が体を蝕み、震えが止まらなくなっても彼の体にねじ込んで腰を振りつづけた。俺のモノが脈打ち弾け、その粘液がそこから漏れ出ていてもとめられない。気が狂いそうだった。どんなに強く彼を抱いても満たされない。その痛みに涙しようが、許しを請おうが。俺はその肌に噛み付き、片手の爪あとを強く残した。情事の後。震えの止まらない俺の体を藤堂は優しく抱きしめ、優しく髪を撫でる。肩を抱き、その背中を子供をあやすように叩く。俺は何時も幾度と無く呟いた。彼の耳元に囁く。許しを請うごとくに・・何度も。
「・・ごめん・・。ごめん・・。ごめ・・ん・・。」
愛しているわけじゃない。その体が欲しいだけで抱く。温もりが欲しい。実感を得たい。欲望を晴らしたい。恨まれたい。憎まれたい。・・。殺して欲しかった。俺はいつも臆病で、何かに脅えていて・・勇気が無い。護られているだけで何もしない。怒鳴り散らすだけ・・。欲求だけが強い。罪悪感だけが残る。自暴自棄に陥る。苦しい。怖い・・。辛い。
「聖さん、もう謝らないでください。貴方だけが悪いわけじゃないんです。貴方を止めることが出来ない私も同じです。だから・・。」
いつもと同じ言葉が綴られ俺の体はゆっくりとベッドの上に横たわる。藤堂はゆっくりと俺から離れて、引き千切られたような服を着こんでいく。
「・・藤堂・・。」
「はい?」
「・・。俺・・。」
「もういいんです。貴方の気の済むよう、私の体を使ってください。でも今は・・体を休めて。」
そう言われ、髪を撫でられると俺の体は泥に溶けたようにベッドに沈んだ。

 電話のベルで目が覚め、体を持ち上げると布団の上にタオルが落ちた。まだ熱が引かない。ベッドの隣では、椅子に腰掛けて転寝をする綺羅の姿。今、何時なんだろう。ここには窓が無く、時間感覚に乏しい。人の歩く音がしてゆっくりとカーテンが開くと、藤堂と目が合い咄嗟にそれを避けた。まだ胸が苦しい。
「社長は・・?」
「寝てるよ。電話・・誰。」
「ハームレコードの片桐さんです。」
俺は藤堂と目を会わせないようにして手を伸ばした。その手の上に電話の子機が置かれる。それを耳にあてがい、小さく溜息をもらした。
「・・何。」
「ああ、聖か。綺羅は?」
暢気な声が聞こえる。もと、メンバーの声。
「俺じゃ用は無いのか。」
「んーー?そーいうわけじゃないんだけどさぁ。ま、言いや。聞けよ。面白い奴を見つけてさぁ。俺たちの曲を歌わせようかと思うんだけど、それの・・。」
「駄目に決まってるだろ。」
俺は奴の言葉を切った。彼は言葉を詰まらせる。
「駄目って・・。な、なぁ、聖。カバー曲ってのもいいもんでさ。きっと売れると・・。」
「売れる、売れないの問題じゃない。嫌だ。誰にも渡さない。」
「・・な、なあ・・。な、な。一度。そうだ。一度そっちに連れてって、歌わせる。気に入ったらあの歌、使って・・。」
「・・片桐。お前にはプライドは無いのか?あれは・・。」
「わかってる。わかってるって。でもな、それがいいんだってば。それを聞けば・・。」
俺はすぐ受話器を耳からはずし、思いきりそれを壁に投げつけた。電話の子機はバキッという音とともに大破して床に砕け散る。その音で飛び起きる綺羅。周りをきょろきょろと見まわすと、粉々に砕けた電話のなれの果てに小刻みに頷く。
「片桐からかぁ。んで、なんだって?」
「・・知らん。知りたくも無い。」
俺はベッドに身を預け、天井を眺めた、カバーだ、リニューアル、リミックス。そんなもの、俺にとってはただの侮辱だ。それも・・。俺達の・・。あいつの歌声を握りつぶすようなこと・・。俺には出来ない。したくない、させたくない。汚したく・・ない。
「たっだいまぁーー。しゃちょぉおー。まゆらチャンとーちゃくぅ。」
「おかえりぃまゆらちゃあーん。僕寂しかった。」
両頬に人差し指をあてにっこり微笑むその顔を、何故俺に向ける。綺羅・・。
「どーこぉ?しゃちょー。」
「こ。こ。だ。よ。じゃじゃーん!!」
カーテンを道具として扱いつつ、綺羅はまゆらのもとにかけていった。あの能天気さは一体どの神経を伝って現れているのだろう。同じ人間の神経組織だろうか・・・。
「あのねぇ。社長、聞いてぇー。まゆらねぇ・・・。」
「んーー?どーしたのぅ。まゆらチャン。」
「まゆらねぇ・・。」
聞こえてくる言葉の語尾の長さが耳障りだ。その間、藤堂は壊れた電話の子機の部品を集める。思えば、何機の電話を叩き壊しただろうか。それについて一度も咎められたことはないが、かえって落ち込む。
「ええ??それ、マジ??まゆらチャン。」
「マジよ、マジ。まゆら、見ちゃったんだから。」
「ま、ま・・。その話はお部屋でしようかね。ささ、いこいこ。」
二人が事務所から出る音がし、まゆらのマネージャーが藤堂を呼ぶのでこの空間には誰もいなくなった。立ち上がろうにも、腰が言うことを聞かない。仕方なくベッドに横たわり、あのときの歌を小さな声で口ずさんだ。あの時、俺はベースを奏いていた。綺羅がギター。片桐がドラム。・・ボーカルが・・仁也。当然若かった。無茶も無謀も。危険な好意が楽しくて・・・。馬鹿騒ぎして・・。酒飲んで語った。騒いだ。それはもう・・。俺だけの記憶なのか?片桐も、綺羅も。忘れてしまった・・?
「過去は・・戻らない。」
一番知っているはずのことで、一番理解したくない言葉。戻ると呟けば。・・・そう実現しそうな・・。でも、そうは呟けない俺自身がここにいる。臆病ものがここに寝てる。