Heaven
ぼんやりと机に向かう日が続いていた。うちが抱える歌手の新曲を綴る。冬、雪。白。それが彼女が歌いたいと希望するもので、しっとりと歌いあげたい。そう言っていた。真っ白なロングドレスが着たい。それが本音なのかもしれない。テレビ番組の出演もそこそこ。まゆらほどではないが、人気は高かった。
三度目の書き直しをしながら、机に置かれる彼女の写真を眺める。CMで使われた衣装は、花嫁だった。ウェディングドレスの裾をたくし上げ、赤いピンヒールを見せびらかし笑う。長い黒髪がドレスの胸元に落ち、抜けるような白い肌が強調された。
「・・雪・・。」
もう、何ヶ月か。真白い雪が降る。目に見えていても掴めば消えてしまう、幻のようなもの。滅多に積もることのないものは、儚げでまた、美しかった。
「ねえ、見て。」
夢みたい。そう言ったよね。
あの、ロッジで見たの。
初めてだった。
雪は白いのね。
「積もるかなぁ。」
そう言う私に微笑んで 首を振る君
「どうして?」
突然で聞きたかった。
雪兎は熱で溶けた。
私達と同じ。
春がくれば終わるの?
溶けてなくなるの?
・・・・。平凡だな。また、紙を丸めた。もう、温くなった珈琲を口に運ぶ。
溶けて交わった。もう、誰の目にもうつらない。
あの日のような冷たい熱の雪。
「愛してる。」
囁いてくれた熱い言葉。
もっと独占してくれていい。
俺のものだ。そう・・叫んで。
冷たい雨。消えそうな白い粒に変わって。
夜が溶けた。
「おーい。聖、手ぇ空くか?」
事務所からの呼び声に、俺はシャープペンを机に転がした。ゆっくりと車椅子の車をまわし、カーテンから外に出る。窓側にあるソファーから、綺羅が手を振るのが見え、俺はそこに回った。ふと、向かい側に座る二人の影を見やると、一人は片桐。もう一人は・・。
「ほら、この前電話で話しただろ??そりゃ、お前は嫌がったけどさぁ・・。連れてきちゃったし。」
片桐が笑いながら紹介するのは、この前・・。雨の日、歩道橋で出会ったあの、金髪の・・青い瞳の少年。こちらに、真っ直ぐな視線を向ける。
「御厨学向君。それがまた、いいんだって。一曲歌わせてみ?」
片桐がおもしろ半分に言うが、紹介された彼は真剣そのものだ。逸らす事のない視線。強い眼差し・・。深い・・。青の瞳。吸込まれそうになる。
「聖、ひーじりってば。」
そう、綺羅に肩を叩かれ息を飲んだ。
「どうだ?やらせてみるか?」
「・・。」
言葉にならなかった。頷く事も、首を振る事も出来なかった。ただ、また彼と目を合わせる。彼は小さく唇を開くと、その唇を強く閉じた。
「お願いします。俺、ヘブンの歌、ガキの頃から聞いていて・・。歌手になるって決めたのもその歌からなんです。・・その中でも、《天使》に憧れてて・・。」
彼の言葉の一瞬の間の後、綺羅が堪え切れなかったように大笑いした。
「あーーーーはははははは!!!ひっさしぶりーに聞いたよ。天使!!そーだよ、そう!!そう呼ばれてたっけなあ!!ヒジリクンっ。」
俺を指差すその綺羅の手を叩き落して俺はそっぽを向いた。
「ええ?」
「そーそー。ここにいるのがそのメンバーと、こいつがその天使。どうだ?始めてあったご感想は?」
綺羅の問いに彼はしばらく黙って、小さく「初めてじゃないですよ。」そう呟いた。
「へ?」
「前、一度・・。感想って言われても・・。綺麗な人だな・・と。」
少々口篭もりながら彼は目を泳がせる。俯き、膝のあたりで組んでいた手をからませ、彼はゆっくり瞬きをするとまた俺のほうを向いた。額をサラサラと流れる金色の髪。それと重ね合わせるようにして俺は仁也の姿を見ていた。想像・・妄想。脳裏の中の彼は穏やかに笑う。小首を傾げ、《どうしたの?》といわんばかりの目許。まだ幼さの残る顔立ちで笑うと八重歯が見えた。
「どうする?聖。・・聖?」
綺羅に体に触れられ、俺は深く息を吸込むと同時に強く目を閉じた。首を振りつつ息を吐き目を開ける。
「だ、駄目なんですか?」
身を乗り出す青年。御厨。俺のもとに伸ばされた手の、細く長い指。俺は彼を直視できなかった。また、仁也が彼を覆うようにして目の前に現れるのが・・。辛かった。
「・・いいよ。ただ、一度だけ。」
声を押し殺すように呟き、言葉を飲みこんだ。藤堂の調べで、開きスタジオに向かう。綺羅に車椅子を押されながら廊下を行くが、俺の頭はもう仁也のことでいっぱいになっていた。事故のことを思い出す・・。最後の笑顔・・。体が震えだし、生唾を飲み込む。呼吸は荒くなり苦しく、今にもここから逃げ出したい衝動にかられた。青い瞳の持ち主。でも・・会いたいのはお前じゃない。仁也・・。仁也に会いたい。
スタジオのドアが開かれ、俺はソファーの隣に置き去りにされた。綺羅は専属スタッフ数名をインターホンで呼び出し、片桐は御厨と奥の収録室に入っていく。俺はただ項垂れていた。歌なんてどうでもよかった。そもそも、この部屋に入る事が嫌だ。忘れていた感覚が蘇る。この、動かない右腕の五指が弾いていた物の感覚が戻る。モノを掴めないこの手が・・。何が出来る。ただ、悔しいだけだ。しばらくしてスタッフがかけつけ、機械を操作していく。俺は煙草をふかした。奥の部屋で二人きり会話をしている姿を睨みつけるように凝視しながら。恐怖を怒りに変えて。怒りや苛立ちが極限に達する。顔を上げ奥歯を噛み締め・・。流れ始める懐かしい序曲に耳を疑った。そう、彼はこの歌を歌いたがっていた。あの、初ライブの・・・。打ち合わせでも。思えば、彼は頑固な面があった。譲らなかった・・。思い出の溢れる曲。それを、何も知らない男が歌う。綺羅が俺の肩を叩き、俺はただ・・その曲に耳を傾けた。第一声が聞こえ、俺は自分の耳を疑う。
「どうして・・。」
口をついて漏れた言葉。同じ・・。仁也と同じ声。話し声はまったく違った。無理やり似せている歌声とも違う。もっと、トレーニングを積めば絶対に伸びる音質。まだ、雑な歌い方だが、紛れもなく。同じ声。見えているはずの左目の視界が曇り、水に濡れていく。止めてくれ。そう言い放ちたい。でも・・・もっと聞いていたい。録音ではない生の声。
「・・ひじり・・。こいつ・・さ。いいだろ?」
片桐が恭しく声を出す。原因は俺がここで泣いている事。俺はその涙を拭う事も泣く、顔を上げた。歌いつづける彼と重なる姿。どちらも、涙で見えない・・。
「聖さん。戻りましょう。」
耳元で聞こえた声は藤堂の声。彼はゆっくりと車椅子を回し、綺羅がそのドアを開けた。
「ちょ、ちょっと待って。返事は?聖・・。」
「あーー。後々。落ち着いたらまた連絡するから。」
片桐と綺羅の会話を後に聞きながら廊下に出る。目を閉じ、左手の項で強く目尻を拭って開くと、目の前に金髪が見えた。顔を床に伏せ、まさに土下座をしている姿が写る。
「お願いします。俺、完璧に歌いこなします!!だから、っ。」
彼は顔を上げ《よろしくお願いします。》と叫び頭を下げた。強い・・眼差し。胸が痛い。必死な心に胸が締付けられる。
「・・お前、一人で来たわけじゃない・・よな。」
「え・・?」
「仲間。居たんだろ・・。揃ったら、・・・連絡くれ。」
彼はすぐ頭を上げ、はい。と奥歯を閉める。
「立て。邪魔だ。」
彼が立ちあがり、廊下の隅に退く。それを目で追った。藤堂が車椅子を押し、ゆっくりと動き出す。事務所の部屋に戻り、いつもの場所に辿りつくと藤堂が珍しく口を開いた。
「どうして・・。おわかりになられたのですか?」
「何を?」
「彼が、一人ではないと・・。バンドを組んでいた、と。」
「ん・・。歌い方。回りに目を配る・・歌い方。それを演出するのは難しい。」
仁也も、いつもカメラや客席よりも俺たちのことを見ていた。目が会うと嬉しそうに笑い、行くよ、とばかりにアイコンタクトを送って・・。
「彼がもし、仲間を集めてきたらどうなさるおつもりですか?片桐さんに・・。」
「渡すつもりはないね。あの歌を使うつもりなら・・なおさら。」
歌わせたくない。とは思っていなかった。でも、歌わせたい。とも思わない。不思議な感覚だった。声が、あんなにも似ていて・・。荒削りのテクニックも、バンドを始めたばかりの仁也によく似ていた。研究して身につけたのかもしれない。それでも・・。
依頼されていた歌詞を早々に切り上げたが、金髪の少年と仁也の差を洗い出すその時間のほうが長く、長く続いた・・。