夜の月の殿様

 
 「ねえ、いっくん。きょう・・お祭りだよ。」
近所のスーパーで買った洗剤のおまけについていたシャボン玉を吹く彼。強い日差しを避け、縁側に座りながら彼は無言のままシャボン玉に興じていた。一つ、二つ・・。虹色の玉ができるたびに吹くのをやめ、それが消えるまでじっと眺めている。今日は風もなく、蒸し暑い。隣の一家は、末っ子の一清くんだけを残して子供らに誘われるままにお祭りに出かけた。ただ、一番上のお兄さんだけは部屋にいて受験勉強をしているようだ。その彼から、さっき一清くんにと小遣いを貰った。だから、彼が祭りに行く姿勢を見せれば喜んで連れて行くのになぁ・・。
「いっくん。お祭り・・嫌い?」
「べつに。」
「別にって・・。屋台一杯あるよ。綿飴とか、たこ焼きとか・・。玩具も。」
「・・ん・・。」
彼は僕の声なんて気にしないようでまた、一つのシャボン玉を空に上げた。
昔はさびれかけたシュクマ際。今は屋台の形だけ残る祭りになっている。誰も舞を踊らないし、昔見たミイラは山の上のお寺に奉納されて御神体は木彫りに代えられた。意味のない祭り・・。
「・・行こうよ。」
僕自身があまり強く誘っていないのを彼は感づいているらしい。それが、ふと彼はシャボン玉の蓋を閉じた。祭りに行くのかと思えば、縁側にごろりと寝転がり・・。昼寝。そのまま昼も暮れ、夜になる逢間ヶ時に彼はゆっくりと体を持ち上げ、軽く目を擦り上げた。
「いっくん、よく寝たねー。はい。たこ焼き。」
彼の家族がお土産に買ってきたもののお裾分け。彼はそれをぺろりと平らげると、麦茶を飲み干した。
「紅羽。月が出た。行くぞ。」
「え?だって、もう夜だよ?行くって言ったって・・何処に?」
「シュクマに会いに。俺だけで行くとお母さんに怒られる。」
「え、あ・・。そ、そうだね。・・。うん・・。」
彼が言う、シュクマ。それはお寺に奉納された御神体のことで・・。僕らは彼の両親に了解を得てから山の上にあるお寺に足を向けた。お寺についた頃にはもう真っ暗で、月の明かりだけが足元を照らす。結構長い距離を歩いたというのにいっくんは息切れもなく、お寺へと続く長い長い階段を上りきった。お寺の住職はいっくんが来た途端ゆっくりと頭を下げ、何も言わずに御神体のある部屋のドアを開けてくれた。彼は迷うことなく御神体の前まで向かう。僕が見てもただの気味の悪いミイラだというのに、彼はその前に胡座を掻いて座ると、ポケットから白い盃を出した。・・それって・・。僕のうちにある盃・・。住職は小さなビンを持って現れ、いっくんの持ってきた盃にビンの中身を注ぎ入れる。そしてそのビンをいっくんに手渡すと、僕に微笑みかけた。
「・・さあ。しばらくは・・。」
住職はそう言い、僕を寺の待合室のような場所に案内した。僕は温かいお茶を貰い頭を下げる。明かりをつけず、戸を開けっ払い月の光を部屋に入れ・・。昔、ばあちゃんがしていたことを今、ここでしているような気分だ。
「あの・・。いっくんは、毎年ここにきているんですか?」
「ええ。三年ほど前から。当初は、誘拐だとか騒がれましたけど、彼は一人でここまで歩いてきたんだそうです。あの小さな体でね。」
「・・。何故だか・・分かりますか?」
「さあ。しかし、子供というものは繋がっているといわれます。シュクマ様と何か縁が深い方だったのではないでしょうか・・・?」
「・・・。」
このごろ、不意に思い出す僕の昔。ばあちゃんちで見た、殿様。僕は住職に、その話を聞かせてみた。名前は教えてもらえなかった殿様の話。住職は静かにそれを聞いていたが、シュクマ様の伝承にはそんな話は無いと言われてしまった。ただ、功の高い人。シュクマ様のことはそう聞かされており、それを記したものは何一つ残ってはいないんだそうだ。2時間ほど待ったがいっくんは戻る気配を見せず、迎えに行くと彼は御神体の前で胡座で座ったまま眠っていた。彼の体からは仄かにお酒の匂いがした・・・。
彼を背負いもと来た道を戻る。彼は何を考え、何をしたかったのか。聞いても多分答えてはくれない。部屋に戻り、いつものように布団を敷いて彼を寝かせると、彼が握り締めていた盃を取り、僕はそれで一人酒を飲んだ。夜の闇に沈む静かなる時。月の光に染められ呑む酒。空を仰ぎ、月を見やり・・。あの時、殿様は・・。どんな気分だったのか。今、僕が酒を呑んでも知る由も無いことを、僕はぼんやりと考え・・酔いしれていった・・・。