患者の目処がつき、帰宅したのは午前四時。タクシーを拾う距離でもなく、バスも無く。電車の路線ではない徒歩が一番手っ取り早い場所にあるマンション。階段を上がり、上着のポケットを探ってカギを出す。シリンダーにカギを差し込んではみたが、回す気になれなかった。また、彼の隣で眠ればあの悪夢が襲うのではないか。憂鬱な気分のままやむなくドアを開け、後ろ手でカギをかける。あたりまえだが、部屋は暗く、ソファーに鞄を置くと上着を脱ぎネクタイを外した。ここで、このまま眠ってしまえば悪夢なんて見ないんじゃないだろうか。ワイシャツのボタンを外しながらキッチンに行くと、夕食が並べれていた。それに手をつけることなく冷めた珈琲をカップに注ぎ、口に運ぶ。ベッドに入ることを迷っているうち、つい・・・習慣で、彼の隣に滑り込んだ。眼鏡とタバコを枕もとに置く。小さく寝息を立てる彼。疲れているから眠りたい。眠りたいけど眠りたくない。妙な葛藤。布団を手繰り寄せ、何度か寝返りを打った。
「あゆき。遅かったな。」
「・・起きてたんだ。」
「ん・・。飯、食ったか。風呂も沸いてるんだぞ。眠れないなら・・。」
彼の気遣いが、どうにも鼻についた。普段なら何てことは無い日常会話なのに。腹が立つ。
「ほっとけよ。寝てればいいだろ。」
「・・。」
彼は溜息をついた。体を起こし、俺の額に手を当てる。
「何するんだよ・・。」
邪険にするように彼の手を振り解くと、彼はそのまま俺を跨いでベッドを降り、部屋を出て行ってしまった。・・ごめん。お前が悪いわけじゃないのに。そんな言葉を呟いても遅く、彼は玄関を出て行ってしまった。
「怒らせた・・よな。」
そんな言葉を呟いてみたが、彼に届くわけも無い。俺はそのまま壁際に体をずらし、今まで彼が使っていた枕に擦り寄った。彼が使うシャンプーの匂いと彼の匂いがする。布団に頭まで潜り込み、自分の不甲斐無さを呪った。これじゃあ、ただの思春期の子供だ。帰ってきたら・・素直に謝ろう。だけど、その原因。理由が理由な為、彼に語っていいものやら悪いものやら・・。しばらく睡魔に負け、眠りについていたが睡眠が浅くすぐに目覚めてしまう。そんなことを繰り返し・・玄関の扉の音が聞こえた。聞こえるのはビニール袋が擦れる音。彼が近づく。ベッドに腰を下ろし、そっと俺の髪を撫でた。
「あゆき。起きているんだろう?こっち向けよ。」
「・・煩いなぁ。」
・・オイこら、俺。さっきと考えが違うじゃないか。謝るって・・思ったのに。
「まあ・・な。でも、さ。」
彼は布団を剥ぎ取り、壁際を向いていた俺を無理やり引っ張る。抵抗も空しく両手首を掴まれ、ベッドに仰向けに押さえつけられた。・・こ、この場面は・・・。夢が脳裏を過ぎる。体を強張らせ、強く目を閉じると鼻先に甘い香りを押し付けられた。恐る恐る目を開ける。すると、目の前にはホカホかとした中華マンが彼の手の上に乗せられていた。この匂いからすると・・肉まん。
「・・肉まん?」
「ああ。起きて食えよ。」
体を引き起こされ、手の上に肉まんは乗せられた。
「お前・・わざわざこれ買いに行ってたの?」
「ん・・まあ。」
「なんで。」
「なんでって・・。あゆき、ここずっと機嫌悪いし、食欲無いみたいだし。試験追試って時とか、しょ気ながらも肉まん食ってたの思い出してさ。ここの肉まんが美味いっていったから・・。」
「・・バカみたい。」
「悪かったな。でも、食ってくれよ。これ探すためにココのところ三軒もまわったんだから。」
・・ただのコンビニの肉まん。彼が作る自家製のものの方がずっと美味いのに。ただ、俺の機嫌取りのためにこの夜中に出かけて・・?肉まん一つ買うだけで?ベッド脇に座る彼を見やると、彼は穏やかに笑った。女ならイチコロにその胸に落とされるような誘惑に満ちた微笑。俺は何故か笑いがこみ上げ、吹きだした。
「お前、ばっかみたい。俺のことなんて放っておけばいいのに。」
「・・でも、さ。久しぶりにあゆきの笑顔が見れたからいい。やっと、俺の目を見て笑ってくれたしさ。走った甲斐があったよ。」
「は・・走った??」
「ああ。すぐ傍にあると思ったから。運動の後は水分っと。」
普段買うことの無いペットボトル飲料を口に運ぶ彼。ただ、俺の機嫌が悪いってだけでそこまでパフォーマンスしなくてもいいのに・・。ほんと・・バカな奴。嬉しさより、何故か悔しくて目頭が熱くなった。それを必死に隠そうとして肉まんを口に運ぶ。彼は、俺の目尻に溜まる涙を人差し指に受け、俺にペットボトルを差し出した。
「ほら。水分補給。それから・・。」
彼の手が俺の顎に触れ・・。引き寄せられたのか近づいてきたのか・・。俺の唇に彼の唇が重なり・・・。
「俺。あゆきの事が好きだ。だから、避けられたり気まずくなったりするの嫌なんだ。このベッド買った時だって・・。」
彼はペットボトルをサイドテーブルに置くと、もう一度俺と唇を合わせ、そして俺の体をベッドに倒した。何をされるか解らないネンネじゃない。それでも抵抗どころか、彼が覆い被さる体にそっと手を添えていた。
「あゆき。・・いいのか?俺・・。」
「嫌じゃないけど、酷くしたら許さない。俺も・・。」
言葉を遮るかのようにキスに責められ、一つ一つ丁寧に外されていくボタンの感触のいやらしさに羞恥した。彼の唇は俺の唇を離れ、だんだんと首から下がり・・鎖骨のあたりから胸のあたりまで探るかのように下がっていく。左の乳首を捕らえられ、舌のぬるっとした感触に体が跳ね声が漏れた。丁寧な愛撫。彼の胸の服を握り締め、その快感に耐えた。その手を外され、彼の手が重なると、羞恥心は極限まであがる。燃えてしまいそうになるほど体が熱く火照った。
「あゆき・・。もっと声を聞かせて。」
唇が重なる手前で囁かれる。声を出そうにも口は覆われ、だんだんと彼の体の重みが伝わる。彼の手が、指が・・俺の体を確かめていく。執拗なキスも、舌を絡める卑猥さと吐息の熱さで彼自身も興奮しているのが手にとるように解って嬉しかった。彼はもう一度俺の胸に顔を埋め、乳首を口に含むと繊細なものに触れるかのような優しい動きで舌を動かし、突き出るものを絡め、時折歯をあてた。そのたびに体を捩り逃げそうになる俺を優しく包み、抱き寄せる力強い腕。
「は・・・。ん・・。・・ふ・・っ」
堪えようにも堪え切れない淫靡な声。俺が出しているのに俺のものじゃないみたいだ。もう一度見つめあい、彼はアイコンタクトで俺の下半身を見やる。それには少し覚悟がいて、彼の顔を抱き寄せてもう一度キスをねだると・・・。唇が触れ合う瞬間に目覚し時計のベルが鳴り響いた。彼はガクーンと俺の体に覆い被さり、戦意喪失状態。溢れる笑いと共に手を伸ばし、時計を探る。目覚し時計のベルを止め、その針が指す時刻は七時半。彼、高梁が寝坊して慌てて仕度を整える時間。
「・・げ。あゆき、シャワーは・・。」
「俺、遅かったから重役出勤。」
「っっ。」
声にならない声を上げつつ、俺の上から飛び退いてベッドを降りていく彼。俺はのそのそと布団を手繰り寄せた。布団に潜り込みながら、ペットボトルに手を伸ばして口にする。ばたばたと仕度を整えている音の脇で、俺は暢気に煙草に火をつけた。仕度を整え終わり、ネクタイを直しながら現れる彼。
「寝タバコは駄目だって・・。」
そう愚痴りながら、そっと俺と唇を合わせた。
「・・苦い。」
「・・ん・・。」
「じゃあ。先行く。」
もう一度キス。あいつ、案外・・キス魔なんだな。見送りもせず、布団に潜り込んだがふと我に返ると、さっきまで平然としていたことの重大さに気が付いた。・・・勃起してる。あいつ・・どうなったんだろう。それに俺、女ともしたこと無いのにあんなに自然に振舞って・・・、
「エッチくさい・・。」
馴れた手つきだったし・・さ。思い返せばそれだけ顔が赤らむ気がして頭を振った。寝てしまおう。このまま・・・。今日は、あの悪夢。見なくて良さそうだけど・・ね。