医院室で、一人。ぼんやりと煙草をくゆらしていると、兄貴が俺を誘い出した。
家族との会食を忘れていたわけではない。あまり、思い出したくない記憶が蘇ってしまった事に嫌気が差し、全てをまた忘れてしまいたい気持ちになっていただけだ。
兄の車の後部座席に座り、シートにもたれる。
「なんだ。やけに暗いな。そんなに嫌なのか?」
「・・いや・・。そういう訳じゃ・・ないんですけどね。」
会話にもならないような言葉を交わし、行き着く一つの高級レストラン。父が世話したというシェフが経営している、父のお気に入りの場所。店に入り、ウェイトレスに案内されていく場所には、すでに家族が席についていた。病院の理事長の母。会長の父。専務の姉。姉の夫。それと医院長の・・兄。兄が座る隣には、何故か笠原さんが席についていた。
俺が頭を下げ、席に座ると父は満面の笑みを浮かべた。
「随分と逢わないうちに、男らしい顔になったな。あゆき。」
「そうですか・・?お父さんも、お変わりない。」
「はっはっは。じじいになったものさ。まあ、いい。乾杯と行こうじゃないか。」
父がそういうと、ウェイターによってグラスに赤ワインが注がれた。店の暖光に照らされ、その液体は艶かしい色を放つ。ワインが注ぎ終わると、グラスを持ち上げ、父の声で乾杯が行われた。ゆっくりとそれを口に運ぶ。前菜が運ばれ、俺にとっては気まずい夕食会が始まった。会話もたわいのないものに差し替えられ、聞かれたことに答えるだけで会話が一つずつ止まる。これじゃいけない。もう少し話を膨らまして・・。彼らの機嫌を損ねないよう勤めないと・・。うやうやしく笑いながら考える。それでもこの場に得きれなくなり、俺はゆっくりと深呼吸をした。
「・・あの、おとうさん。話とは・・。」
「んん?ああ。そうそう。本題か。メインディッシュがきてからでも遅くはないだろう?」
「・・はあ・・。」
「ん?不都合かな?」
「あ、いえ・・。」
「・・・。」
・・機嫌。損ねてしまったかな。沈黙が流れる。ふと、目に付いた席の・・丸いケーキに刺さる蝋燭の明かり。特殊な蝋燭なのか、その炎は鮮赤。それを見て喜ぶ小さな女の子と、母親。父親も嬉しそうで・・。気がつくと、俺の手が震えていた。無理やり力を入れ、その震えを止める。
「湯水。どうしたんだ。」
笠原さんが席を立ち、俺の耳元で囁いた。
「あゆき・・?」
「・・なんでも・・ない。大丈夫・・。すみません・・。」
笠原さんからグラスを受け取り、一口赤ワインを喉に流した。
「気分、優れないようだな。ここでやめるか。」
そんな父の言葉に、細く首を振った。
「いえ。大丈夫です。すみませんでした。」
笠原さんは席に戻るが、俺は今にも泣き叫びたい気持ちで一杯になっていた。
「いい。じゃあ、本題に入るか。」
それからの言葉は・・断片的に頭に響いた。
俺が、一つの病院を取り仕切る。というような内容。病院は、病院でも、今勤めている総合病院が手狭になったため、小児病棟を切り離して一つの病院に作り直し、その小児病棟を小児科医院にする。その医院長になれ。という指示だ。経理などの関係は総合病院のほうで取り仕切り、俺は今までの通りに医師を勤めていればいい。だが、重要な会議には時々出席してもらう。というようなことだと・・車の中で理解した。俺はそれに承諾したらしい。兄の車を降り、笠原さんに支えて貰いながら階段を上がって部屋に入った。部屋は暗く、冷たい。俺をソファーに座らせ、笠原さんは明かりをつけたり、エアコンのスイッチをつけたり、と忙しく動き、水の入るコップを持ってきて俺の元に戻った。俺にコップを握らせておいて、俺のネクタイを緩めワイシャツのボタンを外す。
「あゆき。何があったか話してごらん。どんなことでもいい。断片でもいい。胸の内を言葉に直してごらん。・・さあ。」
笠原さんの、セラピーを行うときの声は柔らかい。頭の中でごちゃごちゃしている記憶をポツリ、ポツリ言葉にした。あの日・・。俺は・・・。七歳の誕生日を迎えていた。

 
 大好きな母親と、その母親が愛した金髪碧眼の男。その男がプレゼントしてくれたものが丸い大きなケーキで、母親がそこに赤い蝋燭を七つ差してくれた。その蝋燭はとても鮮やかな赤い火で、吹き消すのが勿体無いぐらい綺麗だった。
「願い事を思ってから吹き消すんだよ。」
片言の日本語で、彼が言う。そのとき思った言葉は・・忘れてしまった。
真っ暗闇の中、赤く光る炎。綺麗で・・。吹き消し終わると、部屋の明かりが点され、ささやかながらのパーティーが開かれた。大好きな母親。その隣にいる男は大好きな人になりそうだった。
でも・・あのひ。寝ている俺に、彼女は血だらけの顔で覆い被さり、俺の首に手をかけた。
真っ暗闇の中、赤い炎があたりを包んで・・。母親が無表情のまま俺の息を止めに掛かり・・・。
苦しくてもがいた。でも、母は・・俺の望みを叶えてくれた。
「父親が欲しい。」
叶いそうで叶わない願い。俺は随分、我侭な子供で・・・。一晩でも叶えられた願いが・・嬉しかった。

ポツリ、ポツリ。語る中、涙が溢れる。息が詰る。それでも、俺は・・幸せだった。だけど、その後。母は俺の体を抱き上げると、赤く燃えたぎる部屋を直進し、道路に面する窓から俺を投げ捨てた。
「・・悲鳴が・・聞こえたんだ。」
「あゆき。」
「・・違う・・。」
「何が違う?」
「俺・・僕の・・名前・・。しゅういち・・。父さんが・・好きだった・・秋・・の・・。」
笠原さんは、俺の眼鏡を取ると俺をその肩に埋めた。そして、背中を少し強く叩く。
「もういい。終わりにしよう。起きて。」
言われるがままに体をソファに倒すと、なんだか少しすっきりとした気分になった。眼鏡を戻され、口に運ばれる水を飲む。涙を拭うと、笠原さんの苦笑が見えた。
「おめでとう。心にかけた鍵。外せたな。」
「笠原さん・・。俺・・。」
「ん?今は、湯水あゆき。だろ。小児科医の。あ、ああ。今度は小児科医院の医院長。か。」
彼にそういわれ、はっと気がついた。おぼろげな記憶の中、俺はそれを鵜呑みに承諾したはずだ。俺の意見で建設が発注され、再来年には完成する予定・・と・・。
「笠原さん。俺・・どうしよう。俺、まだまだそんな技量ないし、・・っ。」
「いいじゃないか。やってみて損はない。」
「そんな簡単な・・。それに、どうしてあの場所に笠原さん、いたんですか?」
「え?あ、あー。それは、医院長に頼まれてな。経過報告をしていたんだ。お前が、だいぶ・・改善に向かってきている。と・・ね。」
「・・兄さんの・・差し金・・ですか。」
「麗しき兄弟愛ってもんじゃないか?でも、ま。これで俺の肩の荷が降りるよ。」
「・・どうも。」
笠原さんを見送り、一人、煙草をくゆらす。
俺が先にベッドに入るなんて事、あったかな・・・。今ごろ、高梁の奴・・榎本と・・・・。
「・・マジ・・だったのかよ・・。」
本当に・・。俺が手に入れる幸せ。壊れるんだな・・。