「おーい。そろそろ起きろよ。あゆき。」
・・・頭が痛い。体を揺すられ、抱き起こされてそのまま高梁の腕に抱かれ、シャワールームに連れ込まれた。どういうわけか俺は服を着ていない。
そのまま生温いシャワーを頭から浴び、身体を震わせた。
「あゆき。大丈夫か・?昨日あんなに酒飲むからだよ。」
「・・酒?俺が?・・頭・・痛い。」
「二日酔い。それに・・。」
「それに?」
「あ・・いや。」
俺の体に満遍なく温水をかけながら、何故か彼ははにかんだ。彼の体にもたれつつ、目の前に設置されている鏡を見る。首元に鮮やかな痣・・。胸元、鎖骨あたりに一つずつ。全く、記憶が無い。
夕べの出来事が、ぽっかりと穴が開いたように消えている。シャワーに攻められつつ、高梁の腕を振り切ってタオルを掴んだ。彼は溜息をつきつつ、水を止めると俺の体の水滴を拭う。
「・・この髪型・・。昔っぽいな・・。」
「ん?」
「あ・・いや。大学入りたての頃みたいだ・・。」
高梁が昔を振り返って呟く。そんなこと、かつてあっただろうか・・。
水を拭った身体に服を着込むと、俺は部屋に戻りソファに腰を下ろした。煙草を口に運び紫煙をくゆらす。ただ、流れているテレビに映る時刻はもう、7時半を過ぎていた。まだ頭が痛い。
高梁に眼鏡と珈琲を渡され、温かい珈琲を口に運ぶ。今日の珈琲は心なしか苦い・・。
「あゆき。出来たぞ。」
キッチンからの声にただ首を振ると、食事は目の前に机に運ばれた。
「少しでもいいから食べて。」
「・・いらない。・・ごめん・・。」
「・・・・・あゆき・・。」
ふと、見上げた高梁の目が見開かれていた。俺、なんか妙なこと言ったか??
カップの珈琲を飲み干すと、煙草を灰皿に擦りつけた。いつものようにネクタイを締めてもらい、いつものように車に乗り込む。無言のまま病院に着くと、また、いつものように分かれた。
いつもと同じはず。ソレが、いつもと違うことといえば・・。みんな、やけに俺に声をかけることだ。
一体何が起こったというんだろう・・・。
「ゆ・み・ず・。」
お馴染みと化している笠原さんの登場。片手に珈琲を持ち、いつも浮かれ調子の声。
「今日、朝飯抜いたんだってな。ちょっと、飯食いに行こうか。」
「え・・あ、俺・・いいですけど・・。」
「まあまあまあまあ。ほらほらほらほら。」
半ば強引に食堂に連れられ、彼はソーセージセットを二つ頼んだ。手にしていた珈琲を口に運びつつ、白衣のポケットからバンソウコウを取り出す。それを俺に差し出し、彼はニヤニヤと笑った。
「・・なんですか?」
「わっかんねえかなぁ。この色男。」
「はあ?」
「首のソレもそうだが、お前さんの雰囲気が変わったんだよ。」
「雰囲気・・?」
「ああ。なんていうか・・。こう・・。刺が取れたって言うか、なんだろうな。」
差し出されたものを受け取ると、目の前にソーセージセットが運ばれた。皿に並ぶ三本のソーセージ。なんだかその形が気に障り、フォークとナイフで切り刻んだ。最後にその肉片と化した物体にフォークを突き立てる。
「ゆ・・湯水・・?ソーセージ。嫌い・・か?」
「あ・・いや・・。なんでも・・ない。」
「ふーん。」
笠原さんはそう、一つ唸ると、ソーセージを口に運んだ。
「しっかし、あの時点でお前があれを承諾するとは思わなかったよ。」
「・・?」
含み言葉が多いせいか、彼の話がうまく飲み込めない。それに、俺には昨日のことがまったく記憶に残っていないのだ。彼のソーセージを口に運ぶ仕草を眺めつつ、珈琲を口に運んだ。
「若いナリに考えてるって事かなー。」
「・・笠原さん。何の話をなさっているんですか。」
「は?昨日のことだよ。」
「昨日・・・?」
「ああ。お前のオヤジ殿たちと、食事をしただろう?覚えてないのか?」
「・・食事・・?」
彼はぽかん・・と呆気に取られたような顔で動きを止めた。
「医院長の話だよ。お前が、小児科の医院長になるって。・・マジに覚えてないのか?」
怪訝そうな彼。思い出そうとしても、なかなか上手く考えられない。
「ま、まあ・・。着工は順調みたいだし。完成は来年末だし。そのときまでには何とかなるだろうよ。」
「・・・。笠原さん。」
「うん?」
「兄貴と・・・。知り合いですか。」
「は??お前、突然何言い出すんだよ。まあ、俊保とはな・・・。幼友達ってとこだけど。」
「・・。」
彼は少しはにかみつつ、俺はその仕草を眺める。突発的に口に出たことだといえ、俺自身が戸惑っているのを知られるのは恥ずかしい。・・。
「俺、戻ります。ご馳走様。」
「っておい。何なんだよいったい・・・・・。」
彼を残したまま、医員室に戻りいつものようにカルテを眺める。そう。何事もなかったように。平然としているつもりだ。ただ、身体の中のほうで何かが動き始めているような気もする。不思議と、怖くない。
「センセー。僕、僕。うちに帰れるんだぜ。いいだろー。」
突然戸を開け、早見謙太が駆け込んだ。もう立派に走り回れるほど回復し、つい先ほど退院通知を出したところだ。
「おお。いいなぁ。もう、何処も痛くないだろ??」
カルテから視線を彼にうつし、彼の笑顔を見る。屈託のない、色艶もいい顔色。両手を出し、もうちゃんと動くよ、とばかりに握って見せる小さな手。
「うん。でもでも、せんせー。るりちゃんは何処に行っちゃったの?」
「ん・・?」
「僕だって、みんなにバイバイ言ってまわってるんだ。るりちゃんは来てくれなかったし。」
口を尖らせて見せる彼の頭を撫で、その手で、彼の胸を突いた。
「お家の都合で、遠い国に行くことになっちゃってね。急なことだったから、挨拶に回れなかったんだよ。」
「何処に行っちゃったの?また逢える?」
「うん。遠い国だから、君が大人になってから、会えるかもしれない。でも、君のここにいて、すぐ逢えるからね。ずっとずっと、忘れないであげてね。忘れちゃうと、逢えなくなっちゃうから。」
「・・遠い国かぁ。」
「そうだね。」
「うん。じゃあ、僕ちゃんとるりちゃんに逢えるように覚えておくよ。いつか、逢いに行くんだ。」
「そうだね・・。いつか。・・・君は、るりちゃんが好きだったのかな?」
彼は目をまん丸に見開き、照れたように俺の膝を叩くと赤面しながらドアの方にかけていった。ドアに隠れながらこちらを向き、小さくてを振る。手を振り返してやると、彼は恥ずかしそうに顔を抑えた。
「センセー。看護婦さん。ありがとうございました!!」
彼は大きな声で叫び、ぺこりと頭を下げる。そのまま走り去る足音が聞こえ、室内は和やかな雰囲気になった。
「・・初恋・・か。可愛いな。」
「ええー。とっても。」
耳障りな声・・。榎本・・瑞貴。そういえば、小児科の担当だった・・。
「高梁先生がお呼びですよ。」
「・・高梁が?」
彼が俺を呼びつけるということはまずあり得ない事だ。彼は今、研究に没頭中のはず。榎本の言うまま、彼の部屋に赴くと、高梁の姿はなかった。彼のスケジュール表を見れば、今はオペ中だ。
「・・なんだ。」
ここにはあまり訪れたくないのに・・。振り向きざま、何か身体に電流のようなものが走り・・・。そのまま、誰かの腕の中に落ちた・・。
硬い病院のベッドの上に寝かされ、両手足を縛られた形で目覚めた。聞こえるのは二人の話し声。
一人は、あの耳障りな声の榎本瑞貴。もう一人は・・・。誰だったか・・・。
「やっと手に入れられるよ。」
「ホーンと、僕もやっと。仕返しができるし。協力したんだから、おこぼれぐらい頂戴よ。」
妙な連帯感を持つ彼ら。俺はゆっくりと目を開けた。俺を取り囲み、話していたのか目の前に二人の顔が映る。一人は案の定、榎本で、もう一人は・・・。高梁・・・??
「やあ。ご機嫌麗しゅう。湯水あゆき。」
背格好や容姿は完璧に高梁だが、声が違う・・。その手には何故か、はさみが握られており、しゃきしゃきと音を立てて見せた。片手は俺の股座のび、服の上から撫でる。
「あれ、恐怖で縮み上がっているのかな。」
ニヤニヤと笑いながら、股間に触れるのをやめると今度ははさみで俺の服を切り始める。医者なのに、お医者さんごっこが好きなのか・・。手におえない馬鹿ども。
「なんだよ。もっと泣き叫んでくれたっていいじゃない。やめてーって。」
「・・。忠告しよう。人を縛るときには、もう少し解け難い物を選ぶといい。」
「え?」
俺は素早く両手足の紐を解くと、はさみを持つ男の手を振り切りベッドから立ち上がった。
「な・・な・・・。あゆきって・・か弱いんじゃないのか??」
はさみを持っていた手を捻ったのか、片手で手首を握り締めている。榎本のほうは壁に張り付き、息を飲んだ。
「誰がそんなガセネタ仕入れたんだよ。言っておくけど、俺はあいつより強いよ?」
俺は一旦彼に背を向けると、その振り向く勢いを使って後ろまわし蹴りを彼の腹部に入れた。あまり強く入れたつもりはないが、彼はアクション映画のように吹っ飛んで棚に体を打ち付け、ずるずると床に這う。俺はその彼の胸倉を掴み上げて彼の意識を呼び戻した。
「せ。せっかく・・。全てを手に入れたと思ったのに・・。顔も・・身体も・・。」
「俺が欲しいのはあいつの外見じゃなくて、安らげる時間だよ・・。」
彼の顔に正拳突き与えてやろうとしたとき、その手を誰かに受け止められた。殴ってもいないのに、偽高梁は伸びてしまって、俺は胸座から手を離す。
「あーあー。派手にやったなー。身体に染み付いたものは離れないってほんとなんだなぁ。」
しみじみと後ろで語るのは笠原さんだ。俺の突きを止めた手の主は・・高梁・・紬。
「ドア。開かないから不思議でならなかったんだけど・・。お前に怪我はなさそうだな。」
溜息をつき、小さく首を振る。部屋の状況や、俺の衣服を見てまた小さく溜息をついた。
「昨日・・叫んでいたのはこれのことか。まったく紛らわしい顔だな。」
「津路昌美。ここの眼科の医師か。あゆき、見たことあるだろ?ここで何度か眼鏡を作ってるし・・。」
二人は伸びている彼を見ていたが、俺の視線は壁に張り付いている榎本に向いた。彼はぺたんと床に腰を抜かし座り、両手でその身体が倒れないよう支えている。
「・・ずるいよぉ。」
「榎本・・?」
「ずるいじゃん。だって、お前って何もかも手に入れてて、・・一つぐらい分けてくれたっていいじゃないかっ。」
「・・。」
今にも泣き出しそうな震えた声で叫ぶ瑞貴。
「俺のパパを奪ったのだってそうだ!!今は地位も名誉も手に入れて、恋人まで・・。悠々自適な暮らし!!僕は・・僕は・・。ぼく・・・は・・。」
ポロポロと涙を流し、それでも覆い隠さない。必死に体を支える手も震えている。
「・・榎本。お前、何で看護士になったんだ?」
「なんでって・・。」
「俺に復讐する為じゃないだろ?たまたま、配属されたところに俺がいて、目に付いたんだろ?」
「う・・。ソレが何なんだよっ。」
「復讐心だけで看護士になったって聞いたら、俺はここでお前を殺すかもしれない。そんな思いで患者に触れて欲しくない。・・。それに、お前が思うより、俺はずっと・・孤独だったよ。お前の手に入れたいもの。・・違うだけだ・。」
彼にそっと手を伸ばし、頭を撫でてやると彼は堰を切ったように泣き喚いた。
彼、榎本の父親はあの夜。母と一緒に俺の誕生日を祝ってくれた男・・なのか・・?解らないが、彼はずっとそう思って暮らしてきたのか・・。人それぞれの悩み・・か。
「じゃあ、笠原さん。後の始末ヨロシクね。」
「ああ・・。っておい!俺だけぇ?」
「・・じゃあね。」
俺は高梁の胸をポンと叩き、部屋を出た。
「あゆき。本当に大丈夫なのか?怪我・・。」
「してるように見える?させたかもしれないけどさ。」
「なら・・。いいような悪いような・・。」
人気のない廊下で抱きすくめられ、触れるだけのキスを交わした。
「俺、どんどん変わっていく気がする。それでも・・俺を・・。好きでいてくれる??」
高梁の胸の中で呟く。彼は強く俺を抱きしめ、低く「ああ」ともらした。
「勿論。愛してる・・。」
後ろから津路昌美を抱えて現れる笠原さんに見せつけるように、高梁と唇を合わせていた・・。