病院の窓から見える桜は、満開だった。ピンク色はとても色鮮やかで
不謹慎だと思われようが、カメラに収めておきたい様だった。 
父、欣也はもうずっと眠りについていて、それを語り聞かせても反応はない。
僕「藤咲幸之助」に写真を教えてくれたのは父で、どんなものを撮っても
笑顔で対応してくれた父。もう、あの笑顔は見られないかと思うと、
なんだか目頭が熱くなった。
母が亡くなったのは先月。東京では珍しく、大雪になった日だった。
父も、母と同じ病で倒れ・・・。今は静かに眠っているが、
いつ、遠くに旅立ってしまうか。想いは張り裂けそうだ。
「父さん。桜・・綺麗だよ。花びらが風に舞ってて・・。」
僕は丸椅子に腰を下ろしながら、彼に話し掛けていた。
「・・・そうか。」
「とうさん・・?」
彼の声を聞くのは本当に久しぶりで、僕は彼の手をとる。
彼は薄く笑いながら、母さんが好きだったなぁなどと呟いた。
「うん。そうだね。」
「・・・ああ。なぁ、幸。」
「何?」
「・・なんでもない。」
また、彼は薄く笑い・・。小さく胸を膨らませると、また、静かに眠りについた。
それから数日後。彼は静かに。本当に穏やかに息を引き取った。
彼は、ホテルを経営していて、式は密葬に近く、
僕はそれから何も手につかない日々を送っている。
一人になってしまったという寂しさと、なんだか分からない虚しさ。
普段はほとんど吸わないタバコにすがりながら、
彼の経営するホテルの一室にこもりきりになっていた。
ホテルは、伊豆の海岸付近にあり、窓から眺める景色は何処までいっても
海が広がる。今はその海が見える窓にカーテンをかけ、
明かりも付けずに暗い部屋に、タバコの赤い光だけが見えた。
眼鏡を外している、この僕の視力は殆ど無い。左眼は色や、物の輪郭が
ぼんやり分かる程度で、右目は大きな文字なら読める程度。
そんな視力ではじめたカメラ。
どんなピン惚け写真でも、喜んでくれた両親は・・。もういないのだ。
僕の写真はまだ、世間には認められていない。唯一認めてくれた人たちを
僕は失ってしまった。
怖かった。この先、どうすればいいのか不安でならなかった。
経済的な不安は、このホテルが続く限り無いが、
このホテルでの僕の存在は無い。
経営は、父の友人である「花園将成」と言う人が仕切っていて、
何の問題も無い。僕はホテルの一番見晴らしのいい部屋で、
居座っているだけのただの厄介物だ。だけど、ここを出て行く勇気が無い。
また、タバコに火をつけた。暗い部屋に白い煙が上がっていく・・。
「幸之助さん。起きてますか?食事をお持ちしました。開けてください。」
毎日三回。同じ言葉が掛かる。僕はドアを開けたことが無い。そんな中、
今日はひとりでにドアが開き、食事を乗せたカートが部屋に入ってきた。
鼻をくすぐるいい香りだが、食欲と言うものに不足している。部屋に入ってきた
人は、無言のままカーテンを開き、部屋に眩しいぐらいの光が差し込んだ。
「幸之助さん。少しは換気しないと。それに、何日も何も食べてない。」
「・・・うん。ホッといて・・よ。」
「そうはいきません。藤崎に怒られる。さあ。」
僕はタバコをとられ、代わりに眼鏡を渡された。しぶしぶ眼鏡をかけ、
その人物を見やる。その彼は、穏やかに微笑んだ。
父の友人である、共同経営者の花園将成さんは、窓辺に立ちながら
じっと僕を見ていた。彼は身なりのいいスーツに身を包んで、腕を組んでいる。
「少しは落ち着きましたか?」
「・・・。」
「幸之助さん。これ、藤咲からの預かり物なんです。落ち着いたら、渡してくれと、
言われましてね。」
彼は、スーツの内ポケットから一通の封書を僕に見せびらかした。
まだ落ち着いていない僕には渡せないような素振りだ。
「それ、食べてくれたら渡しますよ。」
そう言われても僕は箸を手に持つことは出来ない。テーブルに置かれた
食前酒に手を伸ばして、それを一気に喉に流し込んだ。飲めないアルコールは
すぐに体にまわり、くらくらする。
「そうだ。気晴らしに、旅行でもいかがですか?」
「・・旅行??」
「ええ。長野の、山深い場所に伏見山荘と言う旅館があって、
そこがこの旅館を建てる切っ掛けになった場所なんですよ。
きっと、色々なことを考えるチャンスをくれます。」
「・・・ちゃんす・・・?」
ワインのアルコールに浸されながら聞く花園さんの言葉は、
ぼんやりだがゆっくりと僕の心にしみた。
父と花園さんがホテルを作る切っ掛けを作った場所。
「これ。ここに置きますから。決心がつき次第、開けてみてくださいね。」
彼は封筒を机に置くと、僕に一礼して部屋を出て行った。
「・・チャンスと・・・決心、か。」
ソファーに体全てを預け、天井を見上げた。そう。ここで悲観にくれて、
引き篭もっていては何も始まらない。僕に出切る事があれば・・・。
チャンスは掴み取れ。そんな父の口癖が妙に思い出されて
小さく苦笑した。