計算間違い


 肌に刺す、寒いぐらいの風で身震いし、目が醒めた。ぼんやりと自分の置かれている状況を確認する。
枕もとにある黄色い、明るい光の下に眼鏡が置かれていて、僕はそれを手にとった。はっきりする視界。
真っ暗闇の中、黄色い光の元は古風な和紙に包まれた古いスタンドで、気持ちが安らぐ。また、冷たい風が吹き、
体を持ち上げた。窓は障子と硝子の二枚戸で、出窓のように少しスペースがある。その場所に腰を下ろしながら
外を眺めた。遠くから川のせせらぎの音が聞こえ、真っ暗闇の空には丸い月が掛かっている。肌を指すような冷たい風。
吐く息も・・白い。ここが、父さんがいた場所。原点の山荘。静かで落ち着きがあって、澄んだ空気の・・・。髪を揺らす
風は心地いいが、やはり寒い。小さく身震いをして、髪を書き上げた。
「おや。坊ちゃん。起きられましたな。」
暗い部屋に響く声。その影はゆっくりと動き、部屋の明かりのスイッチを押した。暗い場所になれていたせいで
その光がまぶしい。何度か瞬きを繰り返し、やっとその人物を見ることが出来た。その声の主は、僕をここまで案内してくれた背の低いおじいさんで、僕の顔を見上げて細い目をまだ細める。
「何か、夜食でもお持ちしましょうかね。ばったりと倒れたと思ったら寝入ってしまわれたから。」
「・・・あ。すみませんでした。布団まで用意して頂いて・・。あの。僕もう寝ますから。」
「いやいや。」
彼はゆっくりと首を振った。
「ご馳走。とまでは行きませんがな。何か食べた方が疲れが取れる。眠りにもつきやすくなるものですよ。」
「すみません。」
僕が頭を下げると、彼はにっこりと微笑んで部屋を後にした。しばらくして戻ってきた彼は、ゆっくりと腰を下ろし僕を机の前に呼ぶと、ドアの外に向かって振り向いた。ドアの外から一人の青年が現れ、その青年は食事を運んできたらしく、静かな面持ちで机にそれを置いた。どこか隙の無い鋭利な雰囲気のある伏せ目がちの青年・・。
「ここの料理人で、海都といいます。普段作る食事は全てこの子が作っておる。安心して食べなさい。」
おじいさんはにっこりと微笑み、直ぐにお茶の用意を始めた。海都と呼ばれた青年はただ黙っておじいさんの隣に腰を下ろしている。僕は一つ頭を下げ、出された食事に箸をつけた。食事の内容は白米、味噌汁、何かのおひたしのようなもの・・と、質素ではあるがとても美味しく、真夜中の寝起きだというのに食が進んだ。
「とても美味しい・・。」
「それはよかった。ここの山の幸だから、新鮮で味もいい。慌てずゆっくりとお召し上がりください。坊ちゃん。」
おじいさんはどこか、僕と誰かを重ね合わせてみているように思えた。それは僕の父さんなのだろうか。
 食事をし終わると、海都は黙って膳を下げていき、おじいさんもその後をついていった。僕はまた月を眺めつつ煙草に火をつけ・・。しばらく食休みをした後に布団に潜り込んだ。僕は明日。重大なことを彼らに告げなければならない。そんな不安も何気なく消え、吸い込まれるようにして眠りについた。
 鳥の泣き声で目が覚め、ぼんやりと体を起こす。部屋の中はさんさんとした日の光で照らされていて眩しいくらいだ。あくびと背伸びを一つずつこなし、立ち上がる。初めて迎える部屋の中だというのに、気分は何故かもうここに何年も暮らしているような穏やかさがあった。昨晩、夜食といいつつも食が進んだはずなのにもうお腹が減っている。寝起きで飯を食べたいなんて思うなんて・・健康的になった証拠だろうか。それとも昨日あれだけの距離を歩いたせいなのだろうか。布団を上げずに廊下に出て、トイレによりつつその洗面台で朝の支度を整える。・・・そういえば、僕は何でこの屋敷の間取りを知っているんだろう。何の説明も受けていないのに・・・妙だ。首を傾げながらトイレの戸を開けると、開けた拍子に人にぶつかった。僕がぶつかったのはその人の旨で顔を上げると「海都」さんが僕を見下ろす。謝ろうと口をあけたが、彼は無表情のまま僕の体をすり抜けてトイレに入っていってしまった。不思議な人だ。ずれた眼鏡を直しながら玄関まで行くと、お爺さんが何かを洗っていて興味本位で近づいた。お爺さんは湧き水で何か・・山菜だろうか?を丁寧に洗っている。
「おはようございます。何をなさっているんですか?」
お爺さんはゆっくりと顔を上げ、穏やかに微笑むと突然僕の腕を掴んで水に浸した。突然のことで驚くよりもその水の冷たさに驚愕する。
「ほっほっほ。目が覚めただろう?坊ちゃん。」
「え・・ええ。まあ。」
彼の手を解き拳を握ってみるが、数秒漬かっていただけなのに手が悴んでいて上手く動かない。それに、湧き水はとても澄んでいて太陽に晒され、きらきらと光っていた。
「朝食の用意だよ。坊ちゃんがこんなに早起きとは知らず、老人ばかりの家だで。春とはいえまだ寒いからなぁ。」
「・・・春・・ですか。」
「おや。坊ちゃんの住んでいた場所と同じですよ。もう五月も半ばですから・・初夏には早い程度。」
「あ・・そうですよね。あんまりにも寒いから・・。水も冷たいし。」
「この湧き水は年中同じ温度ですな。冬はとても暖かい。さぁ、支度が整うまで朝の散歩でもなさっててください。なぁに、30分と待たせませんて。」
彼は楽しそうに笑うと、手にいっぱいの山菜を抱え山荘の中に入っていった。彼に散歩でもして・・といわれたが、とても寒くてそれどころではない。部屋に戻り、持ってきた荷物の中から一枚上着を取り出してはおった。それか何分も経たないうちに呼ばれ、僕は始めて山荘の方々と顔合わせをする。重大発表を・・伝えるために。