新幹線を降り、ローカル線を幾つか終点まで乗り、
まだ、バスを利用して、ワンマン電車に乗り・・・・。
朝早く出てきたはずが、今はもう時刻は四時半を回ったところ。
観光どころではなく、山荘に辿り着くまでにはまだ、距離がありそうだった。
一両編成の電車で「あさみ村」と書かれた無人駅に降り立ち、疲れと
到達感に深く息を吸い込む。標高が高いのかここは空気が澄んでいて
都会の空気に慣れてしまったこの体には少し痛い。それでも、山々に
挟まれた地形の緑は新緑で色鮮やか。それに加えて、すでに散り終えている
はずの桜が満開に咲き誇っているのが見える。空気もなんだか冷たい。
疲れた体に、風が心地よく吹いた。一つの荷物を肩にかけ、もう一つを手に持つ。
朝見村の入り口には着いたが、肝心の山荘が何処にあるのかは検討もつかない。
とりあえず、真っ直ぐに伸びる一本の道を登ることにした。辛うじて舗装されているが、
所々割れていてすぐに躓きそうになる。取材用の鞄だけは落とさないよう、
永遠とも思われる長い上り坂を歩いた。歩きなれないせいか、冷たい風が
体に吹き付けても汗が滲み、眼鏡がずれる。それを直しながら早一時間が
経過しようとしていた。父の手紙を読み直し、メモしてある場所に間違いないと
自分に言い聞かせながら歩く。ただ・・。行けども行けども、民家の一軒も見当たらない。
諦めて帰ろうにも、今まで歩いてきた道程を引き返す気力もなくなっていた。
帰ったとしても、あのローカル線が走っているとは限らないのだ。それからまた三十分。
ただひたすらに歩きつづけていると、人が住んでいるか分からない民家を見つけた。
一応、表札と郵便受けがある。その表札をじっくり眺め、滲んだ文字が「重松」と、
書かれているように見えた。玄関らしき戸には呼び鈴が無く、仕方なくその扉に
手をかけた。戸は以外にも簡単に開き、奥にはベージュのマットが敷かれていた。
「すみません。道を尋ねたいんですがー・・。」
家の中は無気味に静まり返っていて、僕の声だけが響いた。三度、同じ言葉をかける。
それでも、何の返答も無いので諦め、溜息をつくと「はあい。」と、しわがれたような
女性の声が戻った。
「あのー、伏見山荘は、どの辺りにあるのでしょうか。」
「ああー。」
喉から声を絞り出すような、そんな音とともに、現れたのは背中の大きく湾曲する
小さな白髪の老婆だった。すり足で僕の下にやってきた彼女は、曲がった腰を
大きく伸ばしてから僕の顔を見上げる。そして、耳が遠いのか、僕の方に右耳を
傾けた。
「あの、伏見山荘はどの辺りにあるのですか?」
できるだけはっきりとした発音で喋ったつもりだった。お婆さんはゆっくりと二度ほど頷き、にっこりと微笑む。皺だらけが、真ん丸い顔をした可愛らしい笑顔だった。
「不二岳はなぁ、電車で行くんじゃよ。滝があってなぁ。」
「あ・・。いえ、伏見山荘、です。」
「きれぇーな滝なんじゃよぉ。」
彼女は嬉しそうにゆっくりと語ってくれるが、埒があかない。頭を下げ、「ありがとうございました。」と家を出ようとした途端、奥から男性の声が掛かった。
「ばあちゃん、誰だい。」
その声はしっかりとしていて、僕は安堵に胸を撫で下ろす。部屋の奥から現れたのは、
お婆ちゃんに似た、中年の男性。彼は直ぐにお婆ちゃんを部屋に戻し、僕に一礼する。
僕もつられて頭を下げた。
「どうしなされましたか。」
「あ、伏見山荘に行きたいんですが・・。」
「伏見山荘ねぇ・・。」
男性は頭を傾げて腕を組み、悩み始めた。そして、何かに気が付いたようにポンと手を叩く。
「ああ。この先をずーっと登った一番天辺の方に、むかーし旅館があったっけかなぁ。」
「ずーっと登った・・・。」
「ああ。確か、看板があったよ。あんた、客かい?」
「まぁ・・。」
「そうかい。暗くなったに。気をつけてな。」
僕は深々と頭を下げて、その家を出た。ずーっと登った場所にある、そう言われてもここからは民家を発見できないのだ。途方にくれつつ、僕はまた歩き出す。山道に近いほどの上り坂はきつく、アスファルトに感謝しつつ動かなくなりつつある足を運ぶ。道を尋ねたときから三時間が経過し、真夜中になりつつある街頭もない道を声もなく歩いた。そして辿り着く微かな明かり・・。暗闇の中目を凝らすと、「伏見山荘」と看板が掲げられていた。やっと・・ついた。そう言いたくても声が出ない。玄関の前で荷物を置き、両膝を付いてぼんやりしていると、戸が開いて紺地の法被姿のお爺さんが現れた。逆光になっていてその顔は見えないが、彼は僕に近寄ると手を差し伸べてくれた。
「どうしなさりましたか。さぁ、中にお入りくださいな。」
おぼろげな記憶の中に、聞いたことのあるような声だった。その手で、僕を立ち上げると、二つの荷物を持って彼は中に入っていく。着いた事に歓喜に打ち震えたかったが、僕はその中に足を運ぶことが精一杯だった。