続・貞視 帝司という男

 まだ覚めやらぬような眠気の中。貞視がレンタカーの手続きをするのを眺めつつ、煙草を燻らせていると気がついたときには運転席のシートに身を預けていた。
「・・あれ?」
「優考ぁ。お前そんなに寝起き悪かったっけ?」
「いや、・・お前が・・良すぎるんだよ・・。」
強めに頭を振りつつ、車のキーを回してとても久しぶりにエンジンの振動に触れた。ほぼ一年ぶりだ。アクセルが右で、真中にブレーキがあって、その左に足置きが・・ない。別に、オートマ限定の免許を取ったわけではないが、教習所以外でマニュアル車には乗ったことがない。一年ぶりの運転に加えて、早何年ぶりだろうかと思われる車種に乗り込み、ワクワクした顔をする男を隣に控え・・。いやしかし。これから向かうのは雪国。前は、マニュアル車の運転が好きだった。懐かしいような気分でハンドルを握る。
「・・さて、行きますか。」
「んじゃ、よろしくっす!!」
シートベルトを締めて前方確認の後、アクセルを踏み込んだ。朝早いわけでもなく、遅いこともない。微妙な時間。道は混んでいるような空いているような。ギア操作にも慣れてきて、タバコをふかしながら無言の沈黙。寝ているのかもしれない。そう思いながら視線をずらすと何かにこにこして前方を眺めていた。
「楽しい?」
「ん。勿論。あ、ああ。ここからどの位かかるんだ?」
「何が?」
「時間。早い?」
「どうしたい?高速行けば六時間くらい・・かな。下道だともっと・・。」
「じゃあ、長く居たい。」
「ばぁか。俺が疲れるよ。」
首都高入り口。そんな道路標識に導かれるようにして車を進めた。幾つ目かのサービスエリアに止まり、背もたれを当てに背伸びをする。持ってきたタバコも燃やし尽くしてしまい喉も乾いた。隣はこっくりこっくり舟をこぎ始めている。起こすのも何だか可愛そうで、エンジンを掻けっぱなしにしたまま店内に駆け込んだ。まだこのあたりには雪はないが、店内の電工掲示板には雪注意報なる文字が流れていた。人の波をすりぬけながら自動販売機で煙草を三つ買い、お釣りを手にホット缶コーヒーを買い、小銭入れから小銭を足して紙コップのコーヒーを無糖で買った。混雑している人ごみをコーヒーをこぼさないようにして歩き、冷めないうちにと小走りに車に戻る。舟を漕いでいたはずの貞視は、ぼんやりとしたような顔で煙草を口にくわえたまま、重たいような体をシート預けていた。
「何だ。起きてたのか。コーヒー買ってきたけど、どっちがいい?」
「んー・・。缶・・でいい。」
ようやく疲れが出てきた。そんな狼狽したような顔で半開きの目。思わず吹き出してしまいそうな顔。そんな顔に、熱い缶コーヒーをぴたっとつけてやった。びっくりして反り返る貞視。
「何すんだよぉ。」
ふて腐れながら間を手にして、プルタブを空けようとしている手に力が入っていない。缶をもぎ取り、プルタブを持ち上げてやってからそっと手に戻した。
「ああ・・。サンキュー。あと何時間・・?」
コーヒーを口に運びながら、もう少し。などと返す。俺がコーヒーを飲み終わる前に、貞視はまたゆっくりと眠りの淵に誘われつつあり・・。
「いい気なもんだよなぁ。お前って・・。」
今にも手から零れ落ちてしまいそうな缶コーヒーをそつと取り上げて、指定の場所に置いた。もうすぐ日が落ちる。行き先の向こうの空は雪雲がかかっていて、きっと本降りなんだろう。急ぐ旅でもないが、夜の雪道の運転に自信はない。買ったばかりのタバコをあけ、一本口にくわえると、何だか複雑な気分のまま車を前に動かした。新潟に入り、あるジャンクションで高速を降りて下道を走りつづけることどの位か。家に着く手前、手前といってもここから30分は走ることになるが、最後のコンビニに立ち寄った。ここから山道に入る。貞視の体を揺すったが起きないので仕方なく、自分だけトイレにと店に入った。都会と売っているものに違いがあるとすれば、ご当地グッズなるものだろうか。まあ、酒が多い。その中にお勧め。なるものの一つ。「今年の氷室。美味い。」の文字。完全手作り昔ながら。伝統を守り抜く味。こだわりの一本。
「それ、美味いっすよ。ここの土産なら、それをお勧めします。」
50歳過ぎだろうか。店員のような、店長のような人物がにっこりと笑う。
「ええ・・。いいですよね。」
今からそこに行きます。何て言えないまま、なんとなくその小さな酒のビンを眺めた。350ml。2000円。驚くほど高い。「雪桜」。俺は似何一つ興味を抱かなかったが、父さんも祖父さんも何も言わなかったな。こうして完成品が世に出回っているところを見ると、とても誇らしい仕事なんだ。そう思えるようになったけど、・・・。なんとなく、何も買わずに車に戻るのは気まずくて、観光客のふりをしてこの辺りの行楽地図がある雑誌を買った。車に戻っても貞視は寝ていて、仕方なく車を走らせる。山道にさしかかったところで雪が降ってきて、だんだんと道路脇にある積雪が増えていき・・。日も陰り、暗いはずなのになんとなくぼんやりと白い景色にライトを当てた。車のライトが雪に反射してとても眩しい。
「なあ、優考・・。俺さぁー。」
「え?な、何だ・・起きてたのか・・。何時・・。」
「今。俺、今更緊張してきた。」
「・・は?何で?」
「だって、さ。お前のご両親に会うんだろ?それってさぁ。」
「別に、単なるダチ。で、いいじゃん。結婚の挨拶に行くわけじゃなし・・。」
「だって・・。」
口を尖らせる貞視を見やりつつ、山の頂の、雪かきが終わったような広い場所に車を止めた。
「ん?」
「着いたよ。」
「へ?何所?」
「ここから五分くらい歩くんだ。小さな橋があって、車は通れない。行けば分かるよ。」
車のエンジンを切り、キーをつけたまま、車から降りた。タバコや携帯など、小物を上着のポケットに突っ込みドアを閉める。エンジンを切ると、驚くほど静かな暗闇の中小さな水の音が聞こえた。荷物を抱えて車を降りた貞視は周りを見渡して、何台あるの?と呟いた。そう。俺にとっては何ともなく、恒例のもので興味も対象でないものが彼にとっては始めて尽くし。この雪かきを終えた広い敷地の中には、壮大なイベントでも開かれた駐車場のごとくの車が犇めき合っている。
「さあ。父さんが11人兄弟の末っ子で、長男だから。親族とか全部がここに集まるんだ。一人二人増えてたって誰も気がつかないよ。」
静かで、薄暗くて白くて暗い。ぎしぎしと鳴る重たそうな雪を踏みながら、俺は何故かいい訳を考えていた。転ばないように歩く貞視の足音を聞きながら、小さな橋を渡って目の前に広がる明かりに見とれて立ち止まる。
「ほーー。でっけー家。テレビに出てくる奴みたいだ。」
「何度か・・放映されてるよ。ここら切っての旧家で・・。」
「で?」
「・・忘れた。」
なんとなく俯いて、小さく首を振った。大きな観音開きの門をくぐり、石畳の上を歩いていく。丁寧に手入れされた庭木。幾つか並ぶ灯篭。池に・・鯉。母屋からは騒ぎ声が聞こえる。玄関の戸に手をかけながら、大きく息をすって吐き出した。ちらりと後ろを振り返りつつ、戸を開ける。静かに開けたつもりだが、シャラシャラと簾が揺れた。どんぐりを幾つも繋げて造ってある簾を掻き分けつつ、小さくただいま。と呟いて靴を脱いだ。きょろきょろと辺りを見渡している貞視も土間との段差に躓きながら靴を脱ぐ。
「ユーちゃん見つけた!!」
子供の声に振り返り、シーっと口に指を当てようとしたがもう遅い。どやどやと親族が集まり、呆気にとられているうちに宴会場に連れこまれてしまった。
「おう!俺の息子が帰ったぞ!!めでたい、のめのめ!」
すでに酔っ払い絶好調の父は俺を無理やり座らせると、グラスに日本酒を注ぎ入れた。
「息子が実家に帰ってきたことが・・めでたいんですか・・。」
「めでたい!!んで、そっちのは何だ?」
立ち尽くしている貞視の袖を軽く引き、座らせた。温泉旅館の大宴会場とも取れるほどの人数の騒ぎ声の中、緊張が体を硬直させているような貞視。
「友です。」
彼はぺこりとすばやく頭を下げると、震えたような声で「さ、さ、さ・・・さささ・・っささ・・。」と口走った。
「そうか!!さささ君か!!」
「いや、そうじゃなくて・・。」
「何でもいい!!さあ、呑め、さささ君!!」
荷物も下ろさないまま、貞視もグラスを持たされた。豪快に酒が注がれて、溢れそうな酒に慌てて口をつける。一口口に含み、喉を通るか通らないかのところで彼の目は輝いた。
「美味い・・。」
「そうだろう?自慢の一品雪桜だ。のめのめ、さささ君。さあ。遠慮なく!!」
「すみません。頂きます。」
名前も訂正しないまま、二人はグラスを傾けた。俺は貞視の持っている荷物を取り上げ、そっと宴会場を抜け出る。自分が使っていた部屋に行き、戸を空けて電気をつけた。適当な場所に荷物を置いてパソコンデスクの椅子に腰を下ろした。古いタイプのパソコンモニターをぼんやり眺めつつ、被っているはずの埃がないことに気がついた。何時も、毎年・・そうだ。俺が帰ってくるだろう、そんな思いなのか。綺麗に掃除が行届いた部屋。静かにたかれた温風ヒーター。ベッドの布団はふかふかに見える。
「ユーちゃん、おじいが呼んでるよ。」
戸が開いたことにすら気がつかないほど、ぼんやりしていたらしい。不思議そうな顔をした甥、大地がじっと俺の顔を見つめていた。
「あ、ああ・・。そう。ありがとう。」
「うん。ねえ、ユーちゃん。」
「何?」
じっと俺の顔を見つめる大地。大きな目が何度か瞬く。この春に、10歳を向かえ、だんだんと大人びてくる顔だがまだやっぱり幼くて可愛い。
「ううん。やっぱり何でもないや。」
「そう?・・・あ、袋買うの忘れた。裸でいい・・?」
服から財布を取り出して一万円を一枚出し、二つ折りにして彼に差し出した。彼が待っていたのはたぶん、お年玉・・じゃあないのかな。
「ありがとう・・。」
なんとなく素っ気無くそれを受け取るが、彼はやっぱりじっと俺の顔を見つめた。
「何?足りない?」
「ううん。ユーちゃん、何だか良いことあった?」
「え?何で?」
「・・うん。何でもない。」
小さく口を尖らせつつ、すばやく部屋を出ていってしまった。
「優考ぁ!!」
父さんの大声が屋敷中に響く。重い腰をあげながら部屋を出て宴会場に戻った。先ほどとは違うグラスを手に持たされながら、おば達の中に引きずり込まれ、あれこれと料理を目の前に出された。どれも口をつけなければ機嫌を損ねそうで一口ずつ食べてはおいしいと言葉にした。
「なんか、ねぇ。」
「ええ。」
「嫌だ、ねぇさんも思う?」
俺の顔を眺めては口々に言い合い、ころころと笑うおば達。
「何ですか?俺の顔に何か付いてます?」
「優考ちゃん、綺麗になったわぁ。美空さんに良く似てきたわねぇ。ほんっと、嗣治に似ないで良かったわー。」
「嫌だねぇさん、あの子だって昔は可愛かったわよー。」
「今は飲んだくれの親父。」
何か言い合っているうちにまた笑い出す。そして、孫に呼ばれたといっては重い腰をあげていく。父さんには10人の姉が居る。その血族が誰一人欠けることなく集まり、・・・。疲れる。グラスになみなみと注がれた酒にそっと口をつけ、濡れた唇を舐めた。仄かに甘く香り高い・・酒。これが美味いか不味いかは良く分からない。
「よう。帰ったか。」
ぽんっと背中を叩かれ、危うく酒を零しそうになった。隣にあぐらで座り込むのは大地の父であり、俺と一つ違いの兄、三徳。忙しいのか、不精髭を生やして疲れたような顔をしている。
「・・うん。ただいま。」
「ああ、おかえり。まったく、お前って奴は連絡しなきゃしないで何も言ってこないんだからな。おお、それ、美味いだろ?」
「・・俺には分からないよ。酒は酒だ。」
「ふっ。つまんねぇ男だなぁ。」
兄は俺からグラスを奪うとぐいっとあおって軽く酒を飲み干した。
「俺にはわかんないよ。悪いけど興味がない。」
「仕方ない。得手不得手だ。しっかし、あのお前の連れ、良く呑むなぁ。」
「好きなんじゃない?酒に釣られてきたんだしさ。」
「ふぅん。これじゃないんだ?」
兄は右手の親指を上げた。
「な、な・・何言ってんだよ。ただの・・。」
「さささ君!!もう優考の肌は食ったか!?」
宴会場に響き渡るほどの父さんの声。口に含んでいた酒をぶーっと吹き出す貞視。はっはっはっは。と高笑いをする父さん。
「あいつは美味いだろう!!何せ、母さんに似た!!」
激しくむせ返る貞視の背中を軽く叩き撫でしつつ、何て言って良いかと考えるがうまい言葉が浮かばない。
「父さん・・。馬鹿な言いがかりはやめて・・。」
「何だ、違うのか。」
明らかに、残念がる父の顔。
「そうであって欲しいんですか?自分の息子が、男に抱かれてる、何て・・。」
「惚れてればそれで良い。それとも、何か?いまどきのセフレって奴か?」
「違います。」
なんとなく咽るのに落ち着いてきた貞視を誘導して外に出ようと思ったが、父さんはしっかりと貞視の腕を掴んだ。
「父さん、お客様に絡まないで・・。」
「絡んでなんていないぞ。さささ君。本音が聞きたい。優考のこと、どう思っているのかな。」
父の真剣な眼差しは、酔っ払いの目の座った感じとは違っていて・・。貞視は蛇に睨まれた蛙状態。そこへ、大皿を抱えた母さんが乱入した。
「はあい、お父さん。お刺身追加ね。」
「おお。」
母さんは俺に軽くウィンクをした。父さんの手が貞視から離れた隙に、彼を連れて廊下に出る。まだ軽く咽ている貞視だったが、少し大げさに深呼吸をして見せた。
「いやぁ、びっくりした。」
「・・同感。」
「あれ、冗談だよなあ?」
「さぁ・・。あんまり冗談言わない人だけどね。兄貴もそんな事言ってたけど・・。」
俺が友人を連れてくるって事がそんなに珍しいのか・・。・・、俺、友達家に連れて来た事ってあったっけ・・。
「なぁ、あの人ホントに親父さん?若くね?」
「・・若いよ。彼が16のとき俺が生まれたから。で・・。まだ呑む?」
驚いて真丸な眼をした貞視。兄貴もそうだと・・言いにくいな。・・いや、別に。家の家族を紹介しても何かあるわけじゃ・・。
「ゆーたか。おかえりぃっーっ。」
突然に飛びついてくる女性あり。これが、母であり・・。
「た・・ただいま・・。」
「んー。この子が優考のフィアンセ?」
「・・母さん・・。」
「嫌だぁ。冗談よぉ。」
貞視の腕をバシっと叩きながら笑っている。さらさらのロングヘアを項で軽く結んだ、天然ボケの人。
「もう疲れたんじゃない?でも、まだ呑むんだったら、お部屋に運んであげるわよ。」
「良いんですか?」
「ええ。勿論。大事な息子の大事な色男さま。」
すでに怒る気も失せた。部屋に戻りベッドに腰を下ろして煙草に火をつける。
「お母さん、美人だなぁ。」
俺の隣に腰を下ろす貞視はしみじみと呟くと、彼もタバコを咥えた。火を探していたので、点けてやりつつパソコンデスクから灰皿をとり座卓に置いた。
「あれ?俺、お兄さんに会ったっけ?」
「さあ。知らないよ。」
「見たいなぁ・・。」
「会ってくれば?妙なこと口走ってくるなよ。」
貞視はすっくと立ち上がり、よしっと両手を拳にかえ、何か気合をいれた。思いきり煙草の煙を吸い込んで吐き出し、タバコの残りを灰皿に押し当てると部屋を出ていってしまう。
「・・・物好き・・。」
冗談で言ったのに、本当に会いに行ってしまった・・。変な事言わなきゃ良いけど・・。追いかけていって連れ戻しに行く気力もなく、首を振った。俺、本当に何しに来たんだろう・・・。