貞視 帝司という男

 今日は・・金曜だ。アパートの近くにある小さなスーパーの生鮮魚売り場でふと思い出した。金曜といえば、あの男がやってくる日だ。今日も訪ねてくるのか、とため息交じりにと息を吐きつつも、特売と赤いシールが張りつけられている秋刀魚のパックを見つめる。一尾100円。二尾197円。当然、二尾買ったほうが安い。だが、しっかりとあの男が家にやってくるかは分からない。一尾残ったとしても、二日続けて秋刀魚を食べればいいが・・。飽きるだろうか。冷凍にしておけば多少はもつが、家には電子レンジはない。から揚げ・・。普通に焼いたほうが美味い・・か・・。
「安いよ。今が旬だしね。」
生鮮コーナーの店員がそう言いながら、新たに魚のパックを並べた。子供連れの主婦層が、次々に秋刀魚を手にして去っていく。ぼんやりとそれを眺めつつ、俺は二尾入りの秋刀魚のパックを手にしていたカゴに入れた。後は・・。ああ、コーヒーの豆がなかった。あいつが来るようになって、需要が増えた。ライターのガス・・。切れたって言ってたような気がする。俺はめったに飲まないが、缶ビール六缶パックを一つカゴにいれ、レジでタバコをワンカートン買った。買ったものを大きめ手作りバックに入れ、片道二キロほどの道を歩く。込山荘A棟、二階まで続く外階段を上がり、六部屋ある突き当たりのドア前で立ち止まった。鍵をかけていったはずなのだが、ドアが開いている。意を決し、ノブに手をかけて引き開けて部屋に入り、ドアを閉めて鍵をかけた。足音がして振り向くと突然奴の顔が俺の顔に近づき、口で口を塞がれた。俺はドアに押し付けられたまま舌を絡められ、抵抗しようと手荷物を放すが、奴は俺のズボンのファスナーを片手で器用にこじ開けてトランクスの中まで滑り込み、きゅっと掴むと弄り出す。いまだキスは続いていて、反論もできなければ、もうすでに腰が抜けそうだ。やっと唇が離れたかと思えば、奴は俺の耳に囁く。
「イけよ。」
耳の穴にふっと息をかけられ、体がぞくっと震えると同じに不覚にも奴の掌の中に射精してしまった。奴は満足げに笑うと、ズボンの中から手を引きぬいて、土間に落ちている袋を手に部屋に入っていく。俺はへなへなとその場に座りこんだ。
「お。秋刀魚だ。ビールもあるじゃん。ガスもあるし。気が利くなあ。」
部屋の奥から嬉しそうな声。奴は早速、ライターガスを開けて自分のライターに注入し始めたようだ。俺はようやく気を落ち着かせられ、立ちあがり身支度を整えなおす。重いような足取りで部屋に入り、奴から袋を奪うと台所に入った。
「お前の分はない。用が済んだらさっさと帰れ。」
「ん?秋刀魚、二尾あったじゃん。」
「お前の分だって買ったわけじゃない。」
「んじゃ、ビールは?」
俺は、袋から買ってきたものを取り出した。突然抜かれたものだから、まだ腰が疼いているがそれを悟られるわけにはいかない。奴はひょっこりと台所に入ってきて、ビールを一巻手に取るとプルトップを開け、一口喉を潤した。俺の目線より高い位置にある奴の喉仏が動く。
「手、洗ったのかよ。」
「ん?舐めた。」
「・・きたねぇな。」
奴は俺の後ろから覆い被さるようにして俺の体を固定すると、左首筋に吸い付いて軽く歯を立てた。ぞくっとして身を震わす。無理やり奴の体を振りほどき、シンクを背に振り向いた。
「一体、何なんだよ。」
「何が?」
「何がって、お前は俺の何な訳?」
「・・。」
奴はふと、無言のまま部屋に戻り、飯。とだけ呟いた。とはいえ、俺も腹が減っているので秋刀魚をパックから出し、グリルの中に二尾入れた。鍋に水を張り、ガスにかけて、冷蔵庫から豆腐を出して掌の上で切る。戸棚から乾燥若布を出して鍋の中に入れながら、ポケットに入れたままだった煙草を一本取り出して口にくわえ、ガスコンロの火で火をつけた。コーヒー豆の残りと、新しい豆を混ぜて自動ミルで挽きつつ、野菜室から味噌を出して煮立ちすぎた鍋に溶かし入れた。鍋の下の火を止め、グリルの中の魚をひっくり返し。ぼんやり一服していると、奴がまた台所にやってきて二本目のビールの缶を持って戻っていった。つまみもないのによく呑めるものだ。俺の家にはテレビもゲームのようなものもない。しんと静まり返った部屋に、椀に持った味噌汁を運び、一合焚きの炊飯器から奴の分は多めにご飯を茶碗に盛る。それを箸と一緒に持っていき、焼きあがった秋刀魚を出した。
「頂きます。」
丁寧に手を合わせ、軽く頭を下げる彼にどうぞ。といいながら、俺も頂きます。と呟いた。奴が来てから、俺も食前食後に古来から伝わる日本の風習を思い出したかのように呟く。
「おかわり。」
俺の前ににゅっと差し出される茶碗。俺は自分の茶碗を机に置きつつ、仕方がないようにそれを手にして台所に戻った。あっという間に空になる焚きたてご飯。一人じゃ余るんだけど・・な。
「はい。これで終わり。」
「ん。ありがとう。」
乱れた服装。高かったのだろうが、よれよれに着る黒っぽいスーツ。だらしなく結ぶネクタイ。裾をズボンから出しっぱなしの殆どボタンの閉まっていない青いYシャツ。寝癖か、セットしたのか分からない短い茶髪。首元にはいくつぶら下がっているか分からない銀のアクセサリー。高級腕時計。センスがいいのか分からない細く小さな眼鏡。チンピラかヤクザの端くれのような奴。なのに、何処か躾が良くされたような・・。金曜に来て、俺を抱いて日曜の昼間帰っていく妙な男。
「ご馳走様。」
「・・お粗末さまでした。」
俺はまだ半分以上食べ終えていなかったが、そういわれて癖のように呟いた。煙草をくわえ、火をつけ始める奴。ぷかっと煙草の紫煙を天井に吹かしながら、慣れた手で灰皿を探して机に置いた。きれいに平らげられた秋刀魚・・。俺も食事を終え、食器を重ねて台所に置きつつ、コーヒーをマグカップに注いでかわりに運んだ。
「はい。コーヒー。」
「おう。サンキュ。」
「・・うん。」
俺も食後の一服を吹かしつつ。小さな机に肘をついた。聞こえるのは煙草を吹かす、ふっとした音と服がすれる音。会話がなければ無音の部屋。コーヒーをすすりながら、俺は奴を見た。奴も視線に気がついたのか俺を見下ろす。俺は正座で、奴は胡座を崩して座っているのにまだ奴の方が背が高い。
「なぁ・・。あんた、何でここに来るんだ?」
「何でって・・。嫌かよ。」
「嫌っつーか・・。何で?お前、俺を何だと思ってるんだよ。」
「お前こそ。」
暫く沈黙がつつき、奴は煙草をもみ消した。そして徐に俺の傍まで来るとキスを迫るが、俺はそれを拒絶した。
「おい・・。」
「帰れよ。お前ん家、B棟なんだろ?」
奴はふと、考え込んだ様子だったが、すくっと立ちあがってすたすたと部屋を出ていった。分からない。奴の考えていることがよく分からない。二本目の煙草をくわえて、ぼんやりしていると玄関が開く音がして奴はまたあがってきた。そして何かを必死に探している。部屋に一つ転がっている大き目のビーズクッションを持ち上げると、銀色に光る鍵が転がっていて奴はそれを拾い上げ、またもや出て行こうとした。
「おい。それ、・・何の鍵?」
「ここの玄関の鍵。」
「・・なんでそんなもの持ってんだよ。合鍵渡した覚えはねぇぞ。」
「ああ。俺が勝手に作ったからな。」
奴はそういうと、くるりと踵を返し俺の前に膝を折ると、俺の吸っていた煙草を奪い取って灰皿に押し付け火を消した。
「何すんだよ。」
「危ないからさ。」
何が。そう言いかけたが、奴に唇を奪われそのまま床に倒された。あっという間に両手を片手で掴まれ、頭の上で床に押し付けるようにして固定され服を脱がされ全裸にされた。キスの合間に、だ。
「やっ。やめっ。」
顔を振って声を出すが、奴はもう片方だけで前戯に走っている。わき腹からゆっくりと胸に手を這わせ、乳首に触れて摘み擽る。身を捩っても足をばたつかせても腕を解こうと因れても。どうすることもできず奴の術中にはまっていく。キスが解かれると漏れるのは熱い吐息と恥ずかしい喘ぎ声だ。舌先で乳首を転がされ、手が太ももの内側に滑り込んでいく。
「や・・。手、ほどい・・て・・。」
素直に解かれる手。肌という肌を舐めまわされ、吸いつかれ。さっき抜かれたというのにこすり上げられて堪え切れずに出し、奴の長い指で下の穴を程よく揉み解され・・感じて・・。
「あ・・ん・・ぁ・・っ・・。」
吐息から溢れるように漏れていく声。身体中ゾクゾクと快感が走っていく。奴の手は止まることがなく・・。腰を少し持ち上げられ、太く熱いモノが差込まれ・・深く突き進んでいく。
「あっあっ・・。」
「痛いか?」
「ん・・。」
フルフルと首を振ると、奴の腰の動きが次第に早くなり・・。手を伸ばし、奴の髪に触れると、その体が覆い被さってきてキスをされた。深く、深く差込まれて、息もできず・・。舌先が口の中を動き回り・・。徐々に早くなっていく腰の動き。一番奥まで差込まれる回数が増え、俺は奴の体にしがみついて背中に爪を立てていた。だが、服が引っ張られて傷つくだけだ。奴が俺を抱くとき。一度だって服を脱いだことはない。
「あっ・・・あっあっあーーっ。」
ずぶっと深く突き動かされたが、俺はイったが奴はすぐモノを抜き取って俺の腹の上に白っぽい体液を飛ばした。情事が終わった途端、奴はティッシュでモノを拭き、満足げに煙草をくわえる。俺は、おずおずと体を持ち上げ・・・。渾身の力を込めて奴の頭を殴った。
「・・痛てえ。」
「あたり前だろっ。殴ったんだからっ。」
「何だよ、良かったろ?」
しれっと平気な顔していわれ、もう一度拳を振るったが簡単に手首を掴まれ止められた。
「そうじゃない!!なんで・・。何でおまえは俺を・・抱くんだよっ。一体どうして・・っ!!」
「どうって・・。」
奴は自分のスーツのジャケットを脱ぎ、俺の肩にかけた。そして、ぷかりと一服し首を左右に振る。
「お前、俺の名前知ってる?」
「・・さだみていじ。」
「何だ。知ってたのか。」
「最初にお前がこの部屋に来て呑んだくれてる時に叫んだじゃねえか。お前は俺の名前知ってんのかよ。」
「氷室・・優孝。ずっと見てたから・・さ。」
「は?」
奴はぽりぽりと頭をかきつつ、気まずそうに口を尖らせた。
「大学でずっと見てた。」
「・・え?」
「お前、競争率激しくってさ。・・ずっと惚れてた。」
「な・・何だよ、それ。」
「酔った振りして・・近づいた。んで・・。」
奴は何か言おうとして息を呑んだ。俺の顔に手を伸ばして、じっと目を見つめる。
「受け入れてくれたと・・。思ってた。」
「・・・。」
俺の中に。何かふつふつと怒りのようなものが込み上げ・・。拳を握り締めながら打ち震える。
「好きだ。付き合ってくれ。」
「嫌だ!!」
俺の拳は奴の頬にヒットした。