「ショーハ。来てくれ。」
ハーミットのくぐもった声が聞こえ、俺は自分の体に絡む腕をそっと退けて体を上げた。暗闇に目を開けると、ぼんやりとした蝋燭の明かりのランプに照らされ、少し目が眩んだ。1度目を閉じ、頭を振り、もう1度目を開けるとハーミットの清潔感のない髪と髭が淡いオレンジ色に映った。眠っている彼女を起こさないよう、そっと枕もとのタバコを手にして立ち上がる。ハーミットは何も言わず踵を返し歩いていくので、俺はそれに従いオレンジ色の明かりを追った。
ここはロシアの人里離れた場所で、全てが凍りに閉ざされた陸の孤島にある一軒の城。ハリー・コールと呼ばれる建物で、電力は自家発電で備わっているが、ここの目的である、あるものに全て費やされていて真夜中に明かりはない。必要以上に広い建物は外気の影響を受け、極端に冷え切っていた。暗闇の中でも自分の吐く息の白さが見える。ハーミットという、不精な中年男性の後を追いながら、俺は手にしていた煙草を一本取り出して口にくわえた。
俺の寝ていた部屋に声が届かない場所まで来ると、ハーミットは歩みを止めて振り向き、そっとその肩の力を抜いた。
「ふぅ・・。やれやれ。シャグリーンからお前さんを引き離すのは毎度のことだが骨が折れる。」
首を振りつつ、彼は溜息をついた。シャグリーンとは、俺と一緒に寝ていた人の名で、褐色の美しい肌を持ち、金に映える大きな瞳の女性だ。長く伸びた髪が赤い色をしているので人目で「仲間」とわかる。それ意外は、すらりと伸びる姿態。豊満な胸。話す言葉は幼いが、どこを見ても魅力的な女性だ。だが、一度寝てしまうと自力で起きる意外、とても目覚めが悪い。それに加え、一人で眠ることが出来ないのだ。真夜中に仕事が出来るとここに住む全員が彼女のことに気を配る生活を強いられた。
「そう育てたのはあんただ。ハーミット。」
「・・ああ。どうも、オンナノコの扱いは不得意だな。」
彼はまた、深く溜息をついた。再び歩き出す彼の後を歩き、全ての電力を終結しなければならないほど電機を食うもののある部屋に入る。それが俺たちの宿命である仕事で、他の誰にも出来ないもの。それを探す機械のある部屋。ここだけは一定の温度に保たれ快適だ。ハーミットはランプの蝋燭の明かりを吹き消し、そのものが置かれる机につく。そのものとは・・。もう、何十年も前に作られた大型コンピューター。この城のどの部屋よりも広い部屋にたった一台のコンピューターが置かれている。大昔の遺品のようだが、中身はどんな新型より性能がいい。そう、ハーミットは豪語する。
・・・。20年ほど前。俺はこのコンピューターのモニターから生まれた。正確には、現れた。何処かの場所から迷い込み、出てきた場所がここだ。城に住むものはハーミット意外、シャグリーンもここからやってきた。ハーミットはこのコンピューターを「タイラント」(暴君)と呼ぶが、俺たちにとっては正に、「マザー」だった。
「ショーハ。これなんだが。」
ハーミットがモニターを指差す。それを覗き込むと、絶え間なく流れているソースの中に一つだけ止まる物体が見えた。拡大するとそれは薬のカプセルのような形をしたもので、まさに駆除するべきものの卵だ。これが生まれると世界の中のコンピューターを荒らす原因になる。ちょっとした歪の一瞬をつき生まれる生命体。コンピューターの中だけで暴れてくれればワクチンが効くが、外に出てくる奴がいる。その生命体を「угроза(ウグローザ)と呼んだ。現実社会に現れて脅威を抱かせるもの。世界の秩序を狂わせるものだ。
「・・угрозаだな。よく見つけたな。」
「ああ。臭いがしたのさ。で、どうする。孵化まで待つか?」
「・・。いや。どのくらい生まれるかわからない。始末したほうがいい。」
「まあ、アルトワ達を待て。一人じゃ危険だ。」
俺はふっと息を吐き、二、三度頷いた。ハーミットは親であり、責任者であり、ここの監視役だ。俺はもう一台のモニターの前に行き、その前にあるソファに深深と腰を下ろした。キーボードに触れ、メインモニターで映る区画を探す。угрозаのみをモニターにうつし、ぼんやりとそれを眺めた。白と赤で造られるカプセル。これを産み付ける母体を見たことはないが、このカプセルからどんなугрозаが現れるかはまだわかっていなかった。50年こいつを追いかけてきたハーミットが掴めていない。それを・・。これを見ることが出来る人間は世界を探してもここ「ハリー・コール」にしか存在しないというのだから、まったく性質が悪いというもの。その俺たちの存在を見出し、ここに終結させたのはハーミットではなく、古ぼけたコンピュータ「タイラント」だというのだからこいつの性能には驚愕する。なぜだかは今だ不明だそうだ。わからないことばかりの場所で宿命と呼ぶような「駆除」作業は不愉快でもあり、痛快でもあった。選ばれたものしか出来ない。という響きが心地よく感じる。ここに来てから・・。存在理由が出来た。こいつをどう潰してやろうかと考えている間に、他の場所の駆除に取り掛かっていた仲間がスクリーンの中から帰ってきた。ネットワーク上に遺物を入れるのだから、スクリーンの中に入るときも、出るときも全裸が好ましい。アルトワと、ロコ、ゲンの三人は例外なく全裸で現れた。仲間はあと二人いるが、シャグリーンだけが女性。この比率にも理由があるんだろうか。
「ただいま。ハーミット。出来は上々だよ。逃走犯無しね。」
全裸のままのロコの言葉に、ハーミットは口元だけを微笑ますとちらりと俺を見た。
「悪いが、もう一度行ってくれないか。угрозаの卵だ。卵は危険だから慎重に頼むよ。」
彼は妙な念の押し方をしつつ、申し訳なさそうに自分の頬を指でかいていた。
「少し休ませろよ。」
「いーじゃん。ゲン。暴れるのスキッしょ??」
膨れるゲンに励ますロコ。俺より10ほど年下にみえるが、実年齢は俺より上だそうだ。アルトワは冷静だが、やはり何処かに疲れが見える。
「・・。いや。少し休んでくれ。明日の朝に潜ろう。それまで孵化を引き伸ばすよう処置しておく。」
「お。ラッキー。」
ロコは指をパチンと鳴らし、剥れていたゲンを促して支度を整えた。やはり、疲れているのだろう。アルトワは肩の力を抜くと、軽くコートのようなものを羽織って部屋から出ていった。
「やはり、サーバー内に潜るのは疲れるか・・。」
独り言のように呟くハーミット。彼は潜る資格がない。長年それを悔やんで生きていたそうだが、もともと管理職のようなものが資質に合っているような気がするのは俺だけか・・。
「どれ。私が処置をしておく。ショーハは部屋に戻るといい。シャグリーンが泣く。」
「いや。あんたが休めよ。ここの方が温かい。」
ハーミットは小さく含み笑うと、何も告げずに出ていった。